2015年7月19日 「百聞は一見にしかず」
2015年7月19日 「百聞は一見にしかず」
【聖 書】ルカによる福音書2章14~20節
【説 教】齋藤 篤 牧師
【説教要旨】
救い主がお生まれになった。このニュースは、イスラエルに生まれ、育った者ならば誰でも、衝撃的なニュースでした。自分たちに与えられた国の歴史は、まさに、救い主を待ち望む歴史であったと言っても、過言でなかったからです。
イスラエルは決して強く、大きな国ではありませんでした。むしろ周囲に常に翻弄され、脅かされながら生きてきたのがイスラエルだったのです。イスラエルにとっての希望とは、自分たちを選び取ってくださった神が、いつか自分たちのために、救い主を送り出してくださるという、待望に他なりませんでした。
その待望が今や、天使たちの大合唱を通して現実のものとなることを、羊飼いたちは「自分たちの経験」として遭遇したのです。あまりにも非現実的な状況に、羊飼いたちは大いに戸惑ったことでしょう。しかし、羊飼いの恐れは、明らかに天使の御声によって打ち消されていったのです。恐れゆえにひるむことは、もはやありませんでした。
天使がやがて去って天に戻ると、羊飼いの思いは行いへと揺り動かします。救い主がお生まれになったことを、この目で「見て」みようと願い、ベツレヘムへ「行こう」と決断します。それも「急いで」ベツレヘムへ向かい、乳飲み子の眠っている家を「探し」当てました(2:15-16)。そして、自分たちに起こった不思議な出来事を、人々に「知らせ」(2:17)、その喜びゆえに神を「あがめ」、「賛美」(2:20)したのです。
この羊飼いの態度の変化は、特筆に値します。これまで羊飼いたちは、数えきれないほど先達から、救い主がやがて生まれてくることを聞き続けてきました。しかし、それはあくまで受け身として聞き、時には、度重なる聖書の言葉を「聞き流して(hearing)」きたかもしれません。しかし、天使の御声は、彼らにとって聞き流すような話題ではありませんでした。確かに耳と心をそばだてて「聴いた(listening)」のです。そして、神の言葉を心と耳を用いて聴いたとき、その言葉は羊飼いの心の中で活かされました。活かされた言葉は、彼らを行動へと導いたのです。
彼らを行動へと導いたのは、明らかに神の力によるものでした。この出来事が、現代に生きる私たちにとっても、十分に当てはまります。神の言葉を、自分たちの感覚として味わって行動へと駆り立てる源として、私たちに与えられていることを、心から感謝いたしましょう。聖書の言葉に示された神の御声に聴いて、私たちの心が躍り、日々を生きてまいりましょう!