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2015年7月26日「ピンチがチャンスに」

2015年7月26日「ピンチがチャンスに」

【聖 書】マルコによる福音書4章35~41節

【説 教】田代 孝一 スタッフ

【説教要旨】

 本日の聖書の箇所は、マタイ福音書、ルカ福音書にも同様の記事が書かれていますように、聖書の中でイエス様が初めて自然現象さえもご支配されるお方であることを示されたところです。
 しかし、その前後関係を読んでいきますと、この大きな出来事とともにイエス様の目的が、弟子たちに対する養育・訓練にあったことを知らされます。
 ガリラヤ湖の漁師を職業としてきたペテロをはじめとする弟子たちは、「向こう岸に渡ろう」と言われたイエス様の言葉に従って、勇んで舟を出しましたが突然の大嵐に遭って、その船が沈みそうになるという想定外の事態に遭遇しました。人間はこのような想定外のことに出遭った時、その隠されていた本性がはっきりと出てくるものです。
 彼らは艫(とも)の方で寝ておられたイエス様を急いで起こして、「先生、私たちがおぼれてもかまわないのですか」と迫りました。彼らは前節でイエス様から、その教えの奥義を特別に解き明かされていたのもかかわらず、そのようなことは忘れて、その本性を丸出しにしてイエス様に迫ったのです。彼らはその不安と不満の矛先を師であるイエス様に向けたのです。
 ここに私たち人間の深い罪の姿があります。私たちも何か問題が起こった時、すぐに責任転嫁しようとしたり、その問題から逃げ出そうとする者です。これは弟子たちだけの問題ではありません。
 そのような弟子たちに対してイエス様は、どのように対応されたでしょうか。
まず風と波とを静められ、続けて「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」と弟子たちに告げられました。イエス様のこの言葉は、弟子たちに対する嘆きの言葉のように聞こえます。しかし、そうであるとすればイエス様はとっくに弟子たちに愛想を尽かされていたことでしょう。イエス様は次の章で、このような弟子たちを特別に選んで、すでに死んでしまったヤイロの娘を生き返らせるという前代未聞の出来事に立ち会わせ、主のご栄光を見せてくださいました。
 「ピンチがチャンスに」変わるのは、想定外の出来事に出遭った時、そこから逃げ出したり、責任転嫁をしないで自らを深く顧みる時とし、イエス様の前に自らの罪を素直に告白することです。主はそのことをご覧になって、自らのご栄光を私たちに顕してくださるのです。


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