私たちは聖書を信じるプロテスタントの教会です。          【教会目標】 キリストの愛が満ち 福音宣教に生きる教会

2015年11月15日 「チームワークで取り組もう!」

2015年11月15日 「チームワークで取り組もう!」

【聖 書】ルカによる福音書6章12節~19節

【説 教】齋藤 篤 牧師

【説教要旨】

 数ある人々のうちから「選ばれる」といった出来事が起こる場合、私たちは選ばれた人たちに対して、どのようなイメージを抱くでしょうか。おそらく、私たちのほとんどはこう考えるでしょう。「選ばれた人たちは、相当なエリートなのだろう」と。
 イエス様は、ご自分の働きを共に担い合うための12人の弟子を選ばれました。その弟子たちに、イエス様は「使徒」という名称を名づけられました。使徒とは、「重要な任務を行うために、それを行う者の“代理”として働くことのできる人たち」という、元々の意味があります。イエス様にとって、その重要な任務は、父なる神様の権威によって、「教えること・伝えること・いやすこと」にありました。ですから、イエスの12使徒に与えられた務めは、大変重要なものであったことが理解できます。
 しかし、イエス様によって選ばれた12人の使徒は、選りすぐりのエリート集団ではなかったようです。ごくごく一般の人たちでした。ペトロをはじめとする漁師もいれば、徴税人マタイもいました。テロ集団と言ってもおかしくない熱心党のメンバーであるシモンや、疑い深いトマス、後にイエス様を裏切ることになるイスカリオテのユダもいました。これらの一人ひとりの誰もが「優秀な人物であった」と、聖書は一切記していないのです。これは、いったいどういうことなのでしょうか。
 私たちが注目したいのは、イエス様はどのようにして、弟子たちを選んだか、ということです。イエス様は前の晩、一晩中神に祈り、その祈りの中で指し示されたことが、12人の弟子をお選びになるということでした。それも、普通の世の中に生きた、しかし、イエス様と共に歩む12人が選ばれたのです。この選びに、間違いはありません。なぜならば、イエス様の深い祈りには、神様の豊かな御心が働いていたからです。たとえ、暴力者や裏切り者がいたとしても、その時点において、神の御心はベストに働いたことを、私たちは信じたいのです。
 そして、それは現在においても、私たち一人ひとりが「選ばれている」という事実へとつながります。私たちは、イエス・キリストによる神様の救いを信じ、告白することによって、神様の選びを明確に自覚させられます。私たちがどのような人物であろうと、神は私たちを選んでくださいました。そして、選ばれた私たちが、使徒のように「チームワーク」で共に生きる場が、キリストの体である教会なのです。

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