私たちは聖書を信じるプロテスタントの教会です。          【教会目標】 キリストの愛が満ち 福音宣教に生きる教会

2015年6月7日 「マニフィカート」

2015年6月7日 「マニフィカート」

【聖 書】ルカによる福音書1章46~56節

【説 教】齋藤 篤 牧師

【説教要旨】

 プロテスタント教会では、ほとんど耳にすることのない言葉のひとつに、「マニフィカート」というものがあります。これは、ルカによる福音書1章47節から始まる、マリアによる賛歌の冒頭部分、「わたしの魂は主をあがめ」のラテン語訳である、「マニフィカート・アニマ・メア・ドミヌム」にちなんで、この聖書箇所におさめられたマリアの賛歌そのものを「マニフィカート」と呼ぶようになりました。ローマ・カトリック教会では、賛美のモデルのひとつとして、このマニフィカートの聖書箇所にメロディーが付され、そして歌われます。
 私たちは、これまで少女マリアが遭遇した、一連の出来事を振り返ることができます。未婚の少女が、神の働きにより、救い主となる一人の子を宿す。あまりにも衝撃的なこのニュースに、マリアは冷静に、しかし不安の中で、わが身に現在進行形で起こっていることを整理しようとします。現実の世に視線を移せば、宗教的な裏切り者として殺される運命、しかし、神のなさることに目を注げば、主が必ずや自分を守ってくださるという保証に身をゆだねることができるのです。彼女は、そのはざまで、次第に、神のなさることに、目を向けるよう促されます。
 目に見える形で、神は助けを備えてくださいました。同じように、神のあわれみによって、同時期に赤子を宿すこととなった、親類の老女エリサベトが、少女マリアの心の支えとなったことは言うまでもありませんでした。人生経験の少ない一人の少女マリアが、熟練したエリサベトから受けたものは、神と共に歩む幸いという一点においてでした。おそらく、マリアはここで安心を得たことでしょう。この安心こそが、彼女に、爆発的な賛美の力を生み出すに至ったのです。
  「マニフィカート」は、「メガ(1000倍)を与えてくださった」という意味です。ここでマリアは、自分の身に、とてつもなく偉大なことをなさった神の力を心から喜びたたえます。私たちが神に賛美の歌声をささげる時、そこには、「神様がいかに大きい存在か!」ということを、自分の言葉、自分の確信として表現するのです。神の大きさは、恐れを生じさせるあらゆる力を、はるかに超えるものなのです。その神が、この世の価値観を覆し、神と共に歩む幸いを、マリアに与え、彼女は、そのことを理解したときに、心からの賛美が生み出されたのです。
 私たちもまた、このような爆発的な賛美に加わることができるのです!それは、神と共に歩む喜びなのです!

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