私たちは聖書を信じるプロテスタントの教会です。          【教会目標】 キリストの愛が満ち 福音宣教に生きる教会

2015年9月13日 「スピリチュアル・ジーザス」

2015年9月13日 「スピリチュアル・ジーザス」

【聖 書】ルカによる福音書4章1節~14節

【説 教】齋藤 篤 牧師

【説教要旨】

 洗礼者ヨハネよりバプテスマを受けたイエスは、「聖霊に満たされて(4:1)」その後の日々を過ごされることになりました。ルカによる福音書では、一貫してイエスが聖霊様に満たされたままに、福音の喜びを人々に知らせます。つまり、イエスによる喜びのおとずれの知らせ(これを「福音」といいます)は、聖霊様の御存在なしには、成り立つことは不可能であることを、私たち一人ひとりに伝えます。それは、伝えるだけではありません。私たちの各自もまた、聖霊様の導きのもとに生きるよう、イエスは、私たちに対して、ひとつの「モデル(模範)」を示されたのです。
 イエスのモデルの冒頭の出来事は、悪魔による「誘惑」です。聖書に収められている悪魔の働きを、私たちに意識するよう促しています。そもそも、悪魔の働きとはたった一つなのです。それは「引き離す者」という意味が悪魔の名サタンに込められているように、悪魔は、「人間を如何に神から引き離して、自分の支配下に置くことが出来るか」というテーマのもとに、ありとあらゆる手を用いて、人間にアプローチをかけます。時には迫害の形で、時には弱みに漬け込んで、そして時には誘惑という形を通して、悪魔は人間に迫るのです。
 この聖書箇所によれば、悪魔は40日の断食を続けたイエスに対して、誘惑という形を通して、自分の支配下に置こうとしました。断食を通して弱りの極みに達していたであろうイエスに対して、悪魔は、神よりも魅力的に見えるようないくつかの出来事(食欲・物欲など)をちらつかせました。誘惑に屈するイエスを想像しながら、悪魔は愉快犯のように、イエスに迫ったのです。
 しかし、イエスは悪魔の誘惑を克服しました。これは、イエスの克己心に基づくものではありませんでした。イエスが、聖霊様の満たしによって生きていたということを思い起こしてください。悪魔に勝つことが出来るのは、神の力によってでしかありません。神は人間イエスにも、そして私たち一人ひとりにも、聖霊様の助けをあますところなく注いでくださるのです。水と聖霊様によってバプテスマを受けるとは、まさに、クリスチャンの人生が、聖霊様がともない、人間を勇気づけ、神と共に歩む喜びを聖霊様によって可能なものとすることを保証する出来事なのです。
 ですから、私たちもイエスの示してくださったモデルに、自分自身の生き方を沿わせることが可能なのです。すでに聖霊様の注ぎが、皆さんにあるのですから。

powered by Quick Homepage Maker 4.91
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional