2016年12月4日 「暗闇に荒び吹く風」
2016年12月4日 「暗闇に荒び吹く風」
【聖 書】イザヤ書59章12~20節
【説 教】齋藤 篤牧師
【説教要約】
私たちはどうして、クリスマスの前に4週間もの長い期間、「アドヴェント」と名付けられた日々を過ごすのでしょうか?教会は長い間、この時をクリスマスの備えの時として大切にしてきました。しかし、実は聖書のどこを見ても、アドヴェントという言葉は登場しません。だからと言って、非聖書的かと言うと決してそんなことはありません。歴史を通じてクリスチャンたちが、自分たちの信仰を表すために、そのようなカレンダーを設けてきたのです。
アドヴェント(Advent)とは「来る前に」というラテン語の言葉から始まっています。つまり、救い主イエスが私たちのもとに来られる前に、私たちの一人ひとりが本当に救い主を心から望んでいるだろうか、救い主が私のために来られたとは一体どういうことだろうかと、思いめぐらすのです。なぜならば、私たちはたとえ貴重なものでも「当たり前」となれば、その有難みが薄れてしまうどころか、あれは無い、これも無いと不平不満を漏らす存在になってしまうからです。
旧約の民であるイスラエル人はまさにそういう状況にありました。神様から祝福されて、守られて、神と共に歩む生活を営み続けてきました。しかし、神がおられるという生活が習慣になれば、それは感動味であるとか、いちいち感謝を思うことが薄れてくるかもしれません。そうなれば、神を信じている生活を知りつつも、本質的には神を忘れてしまう、そんな生活を送っていたのが、時のイスラエル人でした。
不平不満を漏らす時、それは祝福を提供する神の側に責任があるのではありません。それは自分の好きなように歩んだ自業自得の結果なのです。しかし、神は私たち人間からどんなにあしざまに扱われようとも、私たちを見捨てることは決してないのです。それどころか、私たちに近づき、救いを与えてくださったのです。それがイエス・キリストという形で、聖霊の大いなる風と共に、暗闇を照らす光として与えられたのです。