私たちは聖書を信じるプロテスタントの教会です。          【教会目標】 キリストの愛が満ち 福音宣教に生きる教会

2016年2月21日 「キリストは親不孝者?」

2016年2月21日 「キリストは親不孝者?」



【聖 書】ルカによる福音書8章16~20節


【説 教】齋藤 篤牧師


【説教要旨】


「朋あり、遠方より来たる。また楽しからずや」。国語の教科書には必ずと言って良いほど載せられている孔子の言葉です。遠方よりはるばる友人が自分を訪ねてくれた。こんな嬉しいことはないという思いは、私たちとて同じです。それが私たちにとって親しい者であればあるほど、そのような気持ちにさせられます。
津々浦々を旅行し、父なる神様の良いたよりを伝え続けていたイエス様を、母親であるマリアとイエス様の兄弟たちがナザレからやって来ました。おそらく久々の再会となる機会だったのでしょう。愛する息子に一目会いたいという母親の思いは特別なものであったことでしょう。しかし、群衆がイエス様の周りを取り囲んでいますから、なかなか会うことができません。そのことを察したある人が、イエス様のもとに近づき、「お母さんと兄弟たちが、あなたに会いに来ていますよ」と伝えます。
ここで普通だったら、再会を喜ぶイエス様の姿を想像するでしょう。しかし、イエス様の反応はまたもや意外なものでした。「私の母、兄弟とは、御言葉を聞いて行う者である」と。まるで、実の母親兄弟が、自分にとっての母親兄弟ではないと思わせるような口ぶりです。果たして、イエス様はこの一言を通して、何を私たちに伝えたかったのでしょうか。
ここで断言できることは、イエス様ほど親の存在を尊び、大切にする人はいなかったということです。イエス様は、ユダヤ人として大切に守り続けてきた旧約聖書の律法を、神様の価値観として重んじていました。有名なモーセの十戒のひとつに、「父母を敬え」というものがあります。命が与えられたという惠は、父母を通して神の創造の業を賛美できるからです。これこそ、神の人間に対する価値観であり、この価値観によって生きることこそ、母と子のつながり、兄弟同士の良き交わりを生むということを、イエス様はたとえを通して知らせたかったのです。決して、母兄弟を捨ててでも信仰の道を歩めという勧めではないのです。
御言葉に示された神の価値観に、耳と心を傾けること。そして心に神の思いを刻み込んだ者は、神の御心に参加して、行う者となれるのです。その過程で失敗したり、自分の思うようにいかないこともあるでしょう。しかし、何の心配もありません。大切なのは、神の価値観を大切にしようとする、私たち一人ひとりの思いに、神は助け、導き、聖霊様を豊かに注いでくださるからです。



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