私たちは聖書を信じるプロテスタントの教会です。          【教会目標】 キリストの愛が満ち 福音宣教に生きる教会

2016年3月27日 「ナザレのイエスのこと」

2016年3月27日 「ナザレのイエスのこと」

【聖 書】ルカによる福音書24章13節~35節

【説 教】齋藤 朗子牧師

【説教要旨】
 
 イエス様は、十字架につけられる前、弟子たちに3度、ご自分が苦しんで死なねばならないこと、しかし3日後に復活することを予告されました。しかし弟子たちが死と復活の話を理解し、この方こそ神のメシア(キリスト)であると悟らぬまま、イエス様は十字架にかけられました。
 それから3日後の朝、幾人かの婦人たちがイエス様の墓を訪ねたところ、遺体はなく、2人の天使が「イエスは復活された」と告げたというニュースを弟子たちにもたらしました。そこで弟子たちは、イエス様が復活されると言われていたことを「思い出し」ました。そのうちの2人は、その後、エマオ村へ歩きながら「ナザレのイエスという人」の思い出や、イエスの「謎」について、それぞれ記憶し、また考えている「一切のこと」を語り合いました。しかし、この2人は、十字架で死なれたイエス様が魂を罪から救うキリストであることを信じていませんでした。 
 そこに復活されたイエス様が現われ、ご自分がメシアであることを聖書から解きあかし、そして「共に」食卓でパンを割かれると、弟子たちの「目が開き」、一緒にいるのが「キリスト・イエス」であるとわかり、その途端、心が燃えるのを感じました。2人は復活されたイエス様をキリストと信じたのです。2人はすぐさまエルサレムの仲間のもとへ戻り、復活されたキリスト・イエスを「証し」したのでした。
 イースター(復活祭)が「おめでたい」わけは、十字架の死によって人々の罪を贖い、復活されて死と悪に勝利されたイエス様を救い主と信じることで、「心が燃える」経験をすることができるからです。
それは、罪人であったのが神のものとされ、まったく新しい人間に造り替えられて、神の国という新しい価値観と希望に生きる経験です。この素晴らしい人生の始まりが「洗礼(バプテスマ)」です。   
 聖霊の助けと御言葉と聖餐の恵みによって、私たちをいつも養い、心を燃やし続けてくださる復活の主に、賛美と感謝をささげてまいりましょう。

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