2016年7月24日 「悪の思うつぼ」
2016年7月24日 「悪の思うつぼ」
【聖 書】ルカによる福音書11章14~26節
【説 教】齋藤 篤牧師
【説教要旨】
悪霊のしわざによって口が利けなくなった人がイエス様によって癒された時、それはまさに「生きる喜びの経験」でした。生活が回復されていくことを意味し、それは周りの人々も共に喜べる出来事であるに違いありません。しかし、それを素直に喜べない人たちがいました。なんとその人は、イエス様のなされたことを「ベルゼブル(悪霊の頭、つまり悪魔サタン)の力によって悪霊を追い出した」と吹聴したのです。
この人は何を根拠に、このようなことを述べたのでしょうか?この人にとって、イエス様が「全く気に入らない人物」であったというのは、大きな理由のひとつです。イエス様の教えや行動が、自分たちの信じている父なる神様の評判をおとしめるもののように、その人の目には映ったのです。イエス様が神の御心を行う方であることを到底受け入れらないこの人は、「これは神の力などではない、悪魔の力なのだ」という根拠のない、しかしそう確信してやまない思いから、イエス様を非難したのです。
ここから見えることは、イエス様を非難したこの人は、とても真面目に父なる神様を信じていた、ということです。だからこそ、自分が正しいと思って疑わないことに当てはまらない物事を、自分自身の正義心によって非難しなければならないという義務感で処理しようとしたのです。しかし、結果としてイエス様を悪魔呼ばわりすることによって、神様が本当に願っておられることは何なのかというところまで、自分自身の思いを考え、整えることができなかったのです。これこそ「悪の思うつぼ」でした。悪魔は人の誠実さすら目的達成のために用いる存在なのです。
私たちは、そのような悪に打ち勝たれたイエス様を救い主として頂いています。私たちもまた、イエス様とのつながりが、悪に立ち向かう最高の道であることを信じるように導かれているのです。