私たちは聖書を信じるプロテスタントの教会です。          【教会目標】 キリストの愛が満ち 福音宣教に生きる教会

2016年8月21日 「0.00001」

2016年8月21日 「0.00001」

【聖 書】ルカによる福音書12章1~12節

【説 教】齋藤 篤牧師

【説教要約】

イエス様は大勢の人に対して「ファリサイ派のパン種に注意しなさい。それは偽善である。」と告げられました(1節)。ファリサイ派の人々がなぜパン種に例えられるかは、先に起きたイエス様とファリサイ派の人々のやり取りから明らかです。

彼らは自分たちの品行方正な姿に自信がありました。しかし一方で、彼らの心の中はイエス様を憎み、陰口を叩いてはドロドロした感情を抱えていたのです。私たちはこのようなファリサイ派の人々の内実に、品の良さを見ることができるでしょうか?

これこそ、内面と外見が一致していない姿です。外見をいくら繕ったとしても、内面が伴っていなければいずれか本性は露わにされてしまいます。それはあたかも、パン種がパン生地をものすごい勢いで膨らませるような姿になぞらえることができるのです。その元凶を私たちが自覚して、パン種が膨らむ前に自分自身を見つめ、自分の感情に気付くことが大切なのです。

私たちは外見を気にします。この世の中では内面よりも外見を知ることの方が容易に物事を判断できるからです。しかし、神はとかく内面を重視されるお方です。私たちの目にはみえない微細な部分にまで配慮され、私たちの心の中をご覧になられるのです。それは外見で物事を評価するような世の中の動きとは全く違う視点です。

髪の毛一本までも数えられる神がおられる。イエス様は人々にそのことをお伝えになられます。人間の髪の毛は平均で約10万本なのだそうです。10万分の1の単位で、神はわたしたちのことを心の奥底までご覧になられるとも言えます。これは私たちの自力では決して数えることも出来ませんし、すぐに見過ごしてしまうような小ささです。しかし神は私たちのついつい見過ごしてしまうような部分にまで入り込んでくださり、私たちと共に歩んでくださるお方であることを、私たちは素直に受け取ることができるのです。

神に全てを見られていることに恐れることはありません。神は私たちの外見と内面のギャップがあることを全てご存知な上で、私たちを見捨てずに教えることを教え、聖霊様の働きを通して語るべきことを語らせてくださるのです。そのように内面が整えられるとき、私たちは内面からにじみ出るような幸いを味わうことができるのです。それは神の働きに他ならないのです。

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