2016年9月11日 「9.11から15年」
2016年9月11日 「9.11から15年」
【聖 書】ルカによる福音書12章49~59節
【説 教】齋藤 篤牧師
【説教要約】
2001年9月11日、アメリカ・ニューヨークにある世界貿易センタービルに航空機が故意に激突してビルは崩壊、多くの犠牲者の出る大惨事となりました。のちにこの事件は、イスラム教原理主義者グループによる犯行であることが声明されて、売られた喧嘩を買うように、アメリカは報復戦争を行いました。その背後には、イスラム教信仰とキリスト教信仰の衝突という、宗教戦争のようにも見えたと言っても、決して言い過ぎではないでしょう。
このテロ事件によって明らかにされたのは、熱心な宗教心でした。どちらも宗教的正義のために、熱心な信仰心のもとに争われ、無用な血が流されたのです。これは、神の求められている平和のかたちなのでしょうか。誤解を恐れずに言えば、一致より分裂を愛する、人間の罪深さなのです。それを人間は己の姿に気が付かず、正義だと主張します。
主イエスは言いました。私が来たのは平和をもたらすのではなく、むしろ分裂であると。ここで私たちは勘違いしてはなりません。キリストは明らかに平和をもたらすために十字架の主となられたということです。非暴力・無抵抗の主イエスほど、平和の使者は誰一人として存在しません。それなのに主イエスは分裂をもたらすために来たと言うのです。これは別な言い方をすればすぐに納得がいきます。私は分裂を気づかせるために来た、と。
私たちは自分の正義を振りかざすために、分裂する道を選びます。しかし、そのような私たちの心には、キリストの平和は永遠に根付くことはないでしょう。キリストの平和を知る前に、私たちはキリストの平和とは裏腹の心を持っているのです。そのことに気付いた時、私たちは主イエスがなさったことゆえに、自分の愚かさを知り、経験の蓄積である歴史から真剣に学び続け、そして和解する道が与えられるのです。私たちはそれを心から願い、実践しようとしていますか?そのために、主の助けが絶対に必要なのです。