2016年9月25日 「しあわせ」
2016年9月25日 「しあわせ」
【聖 書】フィリピの信徒への手紙2章1~4節
【説 教】小川 厚史執事
【説教要約】
今日の説教のテーマは「しあわせ」です。ルカ6:20-23では、「幸い」について、パラドクシカルに定義しています。聖書の教える福音は、パラドックスです。つらい状況にある時実は、最大のチャンスであることを教えてくれます。
私のピンチ、それは18歳の時、大学受験にすべて失敗した時です。その結果が判明すると、当時大学生であった姉と兄が、住んでいた高円寺のアパートで「残念会」を開いてくれました。そこで、私は泣き崩れてしまいました。当時の私の価値観、それは「いい大学に入って、いい会社に入れば、幸せな人生を送れる」というものでした。その最初のステップをふみはずしてしまったこと、それは18歳にして自分の人生が終わってしまったかのような悲しみでした。
困り果てた姉は、教会の先輩に連絡をして、アパートに来てもらうことになりました。程なく教会の先輩は駆け付けてきてくださり、私の肩に手を置いて祈ってくださいました。それから、声をかけてくださり、「必ず、大学に行けるから、よしんば大学に行けなかったとしても、人間にとって一番大切なものは人格だ。」と教えてくれました。親は、1年限定で浪人することを許してくれました。そこで上京し、浪人生活と同時に教会にも通うようになりました。そして1年後に希望していた大学に入ることができました。マタイ6:33「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。」神様を第一にする、そうすれば、必要は満たされるということです。これが、神様の論理であることを知りました。
「しあわせ」の語源・由来を調べると、しあわせは、「しあわせる(為る+合わせる)」の名詞形として室町時代に生まれた言葉であることがわかりました。そして、その本来の意味は「めぐり合わせ」です。そのため、「しあわせが良い(めぐり合わせが良い)」、「しあわせが悪い(めぐり合わせが悪い)」というような用い方もされたことがありました。しかし、江戸時代以降「しあわせ」のみで「幸運な事態」を表わすようになりました。しあわせの「し」に「仕」という字を当てたこと。これは的を得た当て字だといえます。一人一人がへりくだって、仕え合う時にしあわせな状況が築き上げられるということを意味しているのではないでしょうか。フィリピの信徒への手紙2章の小見出しは「キリストを模範とせよ」です。
私たちもイエス様の姿に倣って、互いに仕え合うことにより、地上に御国の縮図である教会を築き上げていきましょう。