2017年1月22日 「赦し、信仰、奉仕」
2017年1月22日 「赦し、信仰、奉仕」
【聖 書】ルカによる福音書17章1-10節
【説 教】齋藤 朗子 牧師
【説教要約】
「つまづく」とは、誘惑や罪などが障害となり、神を信じられなかったり、信仰から離れてしまうことです。キリスト教の基本的な信仰そのものを「非現実的」「非科学的」と感じてつまづいたり、この世の富や快楽に囚われ、信仰の道から外れてゆくことは珍しいことではありません。また、人間関係でつまづき、教会やクリスチャンから離れてゆく場合もあるでしょう。いづれにせよ、自分自身がつまづかないためにも、誰かをつまづかせないためにも、私たちには「信仰を増してください」と祈りたくなる時があるものではないでしょうか。
また、「何度でもゆるしなさい」という教えを忠実に守りたいと願う人々にとっても、「信仰を増してください」という祈りが必要だと感じることがあるかもしれません。
しかし、イエス様は「からし種一粒ほどの信仰があれば、どんなことでも可能だ」と言われます。弟子たちは、これらのイエス様のご命令に従うためには「たくさんの」信仰が必要だと考えましたのかもしれません。信仰が「たくさん」あれば、自分が驚異的な意思力や大きな心を持つ人間になって、それで「つまづき」や「ゆるし」といった課題を自分でクリアできると考えたのでしょうか。
そのような弟子たちに対して、イエス様は「からし種一粒ほどの信仰」という言葉を通して、信仰は多い少ないといった「量」の問題ではなく、共におられる神の働き(力)にどれだけ信頼を置いているかが問題なのだ、と仰っているのではないでしょうか。
驕ることなく「自分はやるべきことをしただけです」と、へりくだった心で主の御命令を果たす私たちと共に全能の神の確かな力が働き、すべてを益としてくださることに信頼するのが「信仰」なのです。神に信頼して御言葉に従って生きるならば、力ある神が、つまづきよりも励ましを、怒りよりもゆるしを、私たちの間に生み出してくださるのを見ることでしょう。