私たちは聖書を信じるプロテスタントの教会です。          【教会目標】 キリストの愛が満ち 福音宣教に生きる教会

2017年10月29日「生きる喜び」

2017年10月29日「生きる喜び」

【聖 書】ピリピ人への手紙4章1~13節
【説 教】田代 孝一スタッフ

【説教要約】
      なんだってこんなに
      嬉しいのだろう
      椿が咲いたくらいで
      食べられるわけでなし   
      お金になるわけでなし
      けれど私のどこかが、
      ヒヨドリのように 
      叫び声を上げている

 この詩には、椿の花とヒヨドリの絵がえがかれています。この詩の作者は、星野富弘さんという方です。星野さんは、群馬県の中学校に体育の教師として赴任され、そのわずか2か月後に器械体操部の指導中にあやまって頭からマットに落ち、頸椎損傷という重症を負われました。手足の自由を奪われ、生きる意味をなくされた星野さんは、その絶望の中で何度も死のうと思われたということです。そのような中、差し入れられた聖書を通して、イエス様と出会われ、クリスチャン詩人として口に筆をくわえて、たくさんの詩画を作られ、多くの人々に、生きる喜びと希望を与え続けておられます。
 私たちは、自分で思いがけないような大変な境遇や状況に置かれた時、それを打ち破って、生き抜いていけるほど強くはありません。多くの場合、すぐに落ち込み、やる気を無くし、人生に絶望してしまうのが私たちの実体です。私たちは、日頃何もない時には強がっていても、思いがけない境遇や環境の中に置かれると、とたんに弱くもろい存在となってしまいます。また私たちは、喜び感謝できる状態に置かれている時はいいのですが、状況が変わってしまうと、まるで風船がしぼんでしまったかのように、不平不満でいっぱいな自分になってしまいます。
パウロは、本日の聖書の箇所で、「わたしは、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、ありとあらゆる境遇に処する秘けつを心得ている」(4:12)と述べています。パウロはこの手紙を書いた時、ローマにある牢獄の中に入れられており、明日、死刑が執行されるかもしれないという緊迫した状況に置かれていました。パウロはそのような中で、この「喜びの書簡」と言われる手紙を書きました。パウロはこの手紙を通して、「わたしはどんな境遇に置かれていても、喜びをもって生き抜いていける」と力強く宣言しました。
パウロのどこにその秘けつがあったのでしょうか?その答えは、「わたしを強くしてくださるかたによって、わたしは何事でもすることができる」、新共同訳聖書では、「・・・すべてが可能です」と13節に記されていますように、このかた(イエス・キリスト)によって、すべてが可能になるということです。
 私たち、主イエス様の十字架によって罪ゆるされ、復活の希望に生きる者は、どんな境遇や状態に置かれても、わたしを強くしてくださるかた(イエス様)によって、すべてが可能になるのです。そしてその喜びは、星野さんが先ほどの詩に詠まれましたように、ヒヨドリが大きな叫び声をあげて鳴いているように聞こえるほど、嬉しくてたまらないものなのです。ここにクリスチャンである私たちの、何ものにも代えがたい「生きる喜び」があります。


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