2017年2月5日 「善人と悪人の法則」
2017年2月5日 「善人と悪人の法則」
【聖 書】ルカによる福音書18章1-17節
【説 教】齋藤 篤 牧師
【説教要約】
「幼子を我に来させよ」。
有名な主イエスの言葉です。幼子をイエスに祝福してもらいたいと願った親が彼に近づいたところ、弟子たちは追い返そうとします。しかし、イエスはそのような弟子たちの思いとは正反対の行動をとりました。天国はこの幼子のような者が入るところである、とイエスは言われたのです。
イエスはたとえ話を始められました。一人は神のおきてをキチンと学ぶことを生きがいとしていたファリサイ派の人、もう一人はみんなから嫌われていた税金を集める徴税人でした。
この二人は神の御前に出て祈りをささげます。ファリサイ人は、自分がいかに正しく神のおきてを守り、悪人のようなふるまいをしていないこと、悪人のようでないことをさかんにアピールする祈りをささげます。一方で徴税人の祈りは、神に顔向けができない恥ずかしさと恐れ多さの中で、神に向かって罪を許してくださいと願います。この二人のどちらを、神は正しい者としてご覧になられたでしょうか?
答えは自分を罪人とみなした徴税人の祈りを正しいものとして祝福されました。なぜ、自分の正しさをアピールしていたファリサイ人の祈りを正しいものとしなかったのでしょうか。それは、彼自身が「正しい者であると自分で決めた」からです。
私たちは正しさを求めることは決して悪い事ではありません。むしろ勧められるべきことです。神様が求める正しさを私たちが愛するならば、それは素晴らしいことなのです。しかしファリサイ人の悪い所は、他人と比較し、悪人とみなし、自分だけが正しい者とした事です。一方で、徴税人は自分の罪を素直に認めて、神と向き合おうとしたのです。
イエスは、この素直さこそが幼子にあるということを知らせようとしたのです。私たちも幼子のように素直に日々を暮らしているでしょうか?