2017年3月26日 「神を信じない教会?」
2017年3月26日 「神を信じない教会?」
【聖 書】ルカによる福音書20章1~8節
【説 教】齋藤 篤 牧師
【説教要約】
神を信じない教会など、果たして存在するのでしょうか?誤解を恐れず申し上げるならば、神を信じない教会はあると思います。そして、その教会とは実は、私たち一人ひとりの「心」に、あるのだと思います。
私たちは、自分は何者であるかという、つまり自分自身のことを、100%気付いているとは言えません。そのように、自分自身の本当の姿を見えなくさせている何かがあるのならば、それ即ち、神の姿をも理解できなくなる自分自身があることに気付くことが求められているのではないでしょうか。
祭司長とか律法学者と呼ばれる人たちは、一日中神に仕え、神のことを考え、神の思いを汲み取るべく日々働いているという事実を、自他ともに認める立場にあったのだとおもいます。神とつながることを自分自身の誇りにしていたことでしょう。だからこそ、どこの馬の骨とも知らない人間であると、主イエスのことを見ては思ったのでしょう。主イエスの教えに魅了する人々の姿を見て、これこそ神への冒とくに他ならない、自分たちの手で、イエスのやっていることを批判しなければならない、そう思って彼らはイエスに言いました。「誰の許しを得て(権威で)、お前はそれを行っているのか!」と。
それに対する主イエスの答えは実に明快でした。神のことを考えて生活をしていると疑ってやまない、これら祭司長であるとか律法学者たちの「見えざる自分自身」を明らかにしてしまったのです。逆に質問を返された宗教の専門家たちは、神のことを考える前に、自分自身の体裁であるとか立場を第一に考えた結果、自分自身の立場が危うくなることへの恐れから、誠実に、正直に自分自身を表現しなかったのです。
神の御前に正直であること。たとえそれが人から非難されるようなことであったとしても、神は私たちの内にある正直な心を期待しておられます。もし、その正直さに何らかの欠点があるならば、聖霊様の導きを通して、神が私たちを整えてくださるのです。