私たちは聖書を信じるプロテスタントの教会です。          【教会目標】 キリストの愛が満ち 福音宣教に生きる教会

2017年7月9日「思い煩うな! 」

2017年7月9日「思い煩うな! 」

【聖 書】マタイによる福音書6章25~34節
【説 教】田代 孝一スタッフ

【説教要約】
 先月、郷里の熊本の教会で説教をする機会がありました。その時ひとりの信徒の方が、その日の説教者である私に、次のような話をされました。「私たち信徒は、毎日曜日の礼拝に一週間の歩みを始めるにあたって、信仰者として生き抜く力を求めて礼拝に集っています。説教に対しても、難しい神学も聖書の理論もそれなりに意味があるのでしょうが、私たちが求めているものは、神様からの生きた御言葉の説き明かしです。今日受けた御言葉が、私たちの生活の中で具体的にどのように生かされ力となるのか、そのような御言葉の説き明かしを求めて礼拝に集っています」と、なかなか言いにくいことを勇気をもって話してくださいました。
 イエス様ご自身は、聖書の中でどのように教えられているでしょうか?このことを、本日の聖書の箇所から見ていきたいと思います。この聖書の箇所は、「山上の教え(説教)」(5章~7章)として有名な個所です。ここでイエス様は、毎日の生活で思い煩っている人々に対して、パリサイ人や律法学者が用いる難しい律法用語等はお使いにならず、彼らの生活に根ざして、日常的に人々が分かりやすい言葉やたとえを用いてお話になっています。それは、イエス様ご自身が30年間、大工の長男としてお生まれになり、毎日思い煩いの絶えない人々とともに生活されたからです。イエス様も当時の人々と何ら変わらないひとりの生活者でした。当時の人々にその教えを伝えていくためには、彼らの目線に立って、彼らの生活に根ざして語らなければ、何の影響力も与えないことを良くご存じだったのです。
 そこでイエス様は、この箇所で、すぐ目の前に存在し、誰もが理解することが出来る「空の鳥」と「野の花」を指さして、話を進めていかれました。神様はこのような存在にさえ、目をかけ最高に取り扱ってくださっているのだから、それらよりもはるかに優れているあなたがたのことを、それ以上によくしてくださらないはずがないではないかと、神様との信頼関係の大切さを教えられました。きっと人々は、こんなに分かりやすい説教は、今まで聞いたことがないと思ったことでしょう。そして、いつも思い煩っている人々に対して、「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて添えて与えられるであろう」と力強く語られました。それは、父なる神様とイエス様との固い信頼関係の上に立った、確信に満ちた権威ある新しい教えでした。
 イエス様は、この「山上の教え」の締めくくりとして、私たちの人生を家にたとえ、岩と砂のどちらの上に建てた家が、その人生にどんな困難や思い煩いが襲ってきても倒れないかと問われました。そして、イエス様の言葉に聴き従う生き方(岩の上に建てた家)にこそ、私たちの人生の本来の生き方があることを教えられました。キリスト者の喜びは、いつもイエス様の言葉の上に座して、その人生を生き抜く時、約束通り毎日の生活の中でその言葉が成就していくことです。
 私たちは、今週もこの礼拝から新しい一週間の歩みを始めます。本日いただいた御言葉の上にしっかりと座して、どんなに思い煩う時も、神様がすべてのことを備えていてくださっていることを信じて、雄々しく力強く歩んでまいりましょう。

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