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2018年4月1日「一陽来復(いちようらいふく)」

2018年4月1日「一陽来復(いちようらいふく)」

【聖 書】マタイによる福音書6章1~4節
【説 教】田代 孝一スタッフ

【説教要約】
 本日のメッセージのテーマである「一陽来復」という言葉には、①冬が去り、春が来ること。②悪いことが続いたあと、ようやく物事がよい方に向かうこと。という意味があります。わたしたちの人生は、山あり谷ありの人生です。誰ひとりとして、順風満帆な人生だけを歩んで行く人はいません。人はいろいろな苦しい状況を乗り越えて、それぞれの人生を歩んでいくのです。そこにわたしたちの人生の機微(奥深さ)があります。
本日の聖書の箇所に登場しますイエス様の二人の弟子も、その人生において、このことを体験しました。彼らはイエス様の弟子として、イエス様と行動をともにし、その素晴らしい教えと死人さえも生き返らせる奇跡を眼近かに見て、「この方こそ、イスラエルを救うお方である」という思いを強く抱き、自分の人生のすべてをかけて従っていきました。しかし、そのイエス様がいとも簡単に「アッ」と言う間に、十字架刑という最悪の処刑のされ方で死んでしまわれたのです。彼らの落胆ぶりはいかばかりだったことでしょう。生きる目的を失った彼らは、イエス様との活躍の舞台であったエルサレムを後にして、自分たちの生まれ故郷であるエマオに向かって、うす暗い闇の中をとぼとぼと歩きだしました。夕闇の中を、肩を落としてとぼとぼと歩いている彼らのうしろ姿を想像してみてください。彼らはまさにこの時、人生の冬を迎えていました。
しかし、突然「イエスご自身が近づいてきて、彼らと一緒に歩いて行かれた」(15節)と記されていますように、何とこの時イエス様の方から彼らに近づいて来られたのです。ここにキリスト教信仰の真髄があります。わたしたちの状態が暗く荒れすさみ最悪の状態であっても、イエス様の側から近づいてきてくださるのです。どんな時もわたしたちを見捨てず、いつもともにいて、わたしたちに語りかけてくださるイエス様の姿がここにあります。
暗闇に包まれていた彼らは、当初、そのお方がイエス様だとはまったく分かりませんでした。しかし、イエス様とともに歩いて行く中で、彼らのかたくなな心が砕かれ、復活されたイエス様であることを知らされました。彼らは次の日朝早く、希望と未来に満ちたエルサレムへの道を再び歩き始めました。
わたしも48年間という長いクリスチャン人生の中で、何度も冬の時を迎え、そのたびに深く挫折し、まったく出口が見えない状態になりました。しかしそのような時、必ずイエス様の方からわたしに近づいてきてくださり、最良の方法で最高の道を開いてくださいました。その人生において、イエス様とともにあるなら「一陽来復」の道は、あなたにも備えられているのです。

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