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2022年11月13日「光の子、昼の子」(企救エクレシア)説教 執事:田代孝一

2022年11月13日「光の子、昼の子」(企救エクレシア)

【説教】 田代 孝一スタッフ

【聖書】 テサロニケの信徒への手紙第一5章1~11節  

【説教要旨】
 本日は、企救エクレシア20周年記念礼拝で御言葉を取りつぐことが出来ますことを心より感謝します。
 人に歴史がありますように教会にも歴史があります。企救エクレシアもこれまで20年間の歩みにおいて、さまざまなことを体験してこられたと思います。そこには、喜び・悲しみ・つらさなど悲喜こもごもの歩みがあったと思います。つい最近では、信仰の友であった衛藤兄弟との突然の別れがありました。私達にとって最もつらいことは家族や友人など親しい友との別れです。
 本日の礼拝の中で「アドナイ・エレ」(主の山に備えあり)という賛美をささげてくださいましたが、この賛美は企救エクレシアの基礎を築いてくださった故馬場哲雄兄弟が作詞・作曲されたものです。兄弟との別れも衛藤兄弟と同じように突然の別れでした。兄弟から教えられたことは数え切れませんが、とくに大きなものが、この賛美に表されていますように「徹底して御言葉に聴き従って歩む」という信仰者としての生き方でした。
 神のひとり子であるイエス様もまた徹底して父なる神様の言葉に聴き従って歩まれた生涯でした。その最後が「十字架への歩み」でした。それは過酷を極めるものでした。イエス様ご自身、ゲッセマネの園で「『父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください』・・イエスは苦しみもだえ、いよいよ切に祈られた。汗が血の滴るように地面に落ちた」(ルカ22:42~44)と記されています。そこには、命を懸けて徹底して私達ひとりひとりを愛し、愛し抜くという父なる神様・イエス様の覚悟があったことを知らされます。
 罪人のかしらのような私達は、どうすればそのような覚悟ある生き方に変えられるのでしょうか。そのことについて本日の聖書の箇所に次のように記されています。「しかし、兄弟たち、あなたがたは暗闇の中にいるのではありません。・・あなたがたはすべて光の子、昼の子だからです。わたしたちは夜にも暗闇にも属していません。・・わたしたちは昼に属していますから、信仰と愛を胸当てとして着け、救いの希望を兜としてかぶり、身を慎んでいましょう」(5:4~8)と記されています。私達がなすべきことは暗闇の世界に属する関係を断ち切り「光の子、昼の子」とされたことに感謝して、その道を歩み続けることではないでしょうか。そこに必ず豊かな主の祝福があることを確信します。
 企救エクレシアは、今日から21周年に向けて新しい歩みが始まります。思いがけない困難に遭うことがあるかもしれません。しかし、イエス様の十字架によって示された神様の深い愛によって「光の子、昼の子」とされたことに心から感謝し「アドナイ・エレ」の信仰を固く持って、力強く歩んで行かれますよう心から祈り願っています。本日は20周年記念礼拝を迎えられましたことを心よりお慶び申し上げます。


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