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2022年7月17日「パン種とパン屑」

2022年7月17日「パン種とパン屑」

【聖 書】マルコによる福音書8章14節~21節
【説 教】林 巌雄牧師
【説教要旨】
「ファリサイ派の人々のパン種とヘロデのパン種によく気をつけなさい」(マルコ8:15)

 「ファリサイ派の人々のパン種」とは何でしょうか。人を規則で縛ろうとし、それに違反する人びとを、罪人である、神に救われない、と裁く心の種でしょうか。「ヘロデのパン種」とは、人を支配し、自分の言うことを聞かせようとし、そうしない者を抑えつけようとする心の芽のことでしょうか。

 これらは、今は小さくても、イースト菌の入ったパン生地のように、わたしたちの心や人の群れの中で、大きく膨れ上がってしまいます。わたしたちは、人を裁いたり、支配したりする思いでいっぱいになってしまいます。ここでは、このように、「パン種」は、わたしたちが注意したり避けたりするもののたとえとして用いられています。

 しかし、この直後、イエスさまは、今度は、「パン屑」について語り、同じパンにまつわる題材でも、意味は大きく違います。

 「わたしが五千人に五つのパンを裂いたとき、集めたパンの屑でいっぱいになった籠は、幾つあったか。」弟子たちは、「十二です」と言った。」(8:19)。

 この場合の「パン屑」は、神さまの恵みのゆたかさを示しています。五千人を満腹にさせても、あまりが出るほどのパン。神の恵みはそれほどまでにゆたかだと言うのです。

 わたしたちは、命を与えられたこと、それを今日まで育てていただいたこと、生きる空間、衣食住を備えられていること、家族や友を与えられていること、音楽や物語を用意していただいていること、美しい花を見せていただいていることなど、礼拝に招かれていること、神さまに導かれていることなど、神さまの恵みを、いくつも数えることができます。

 また、わたしたちは、これまでの人生を振り返って、苦しいこともありましたが、その度に、神さまが起死回生をもたらせてくださったことを思い出します。

 わたしたちは、ひとりひとりや群れの心の中に忍び込むパン種に注意し、それを大きくさせないように、神に祈りたいと思います。どうじに、神がわたしたちの人生に与えてくださった恵みのゆたかさをあらためて想い起こしたいと思います。



※説教動画はこちらから

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