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2022年8月28日「罪人のかしら」

2022年8月28日「罪人のかしら」

【聖 書】ルカによる福音書18章9節~14節

【説 教】田代 孝一スタッフ

【説教要旨】
 本日の聖書の箇所には、二人の人物のことが書かれています。一人はファリサイ派の人です。パウロも自らのことを「律法の上では、ファリサイ派の一員」(フィリピ3:5)と記していますように、当時の指導者層の中でもエリート中のエリートと言える存在でした。もう一人は徴税人です。同じルカによる福音書の19章に徴税人のかしらであるザアカイのことが書かれていますが、イエス様がザアカイの家に泊まられることになった時、周りの人々から「あの人は、罪深い男のところに泊まって客となった」(ルカ19:7)とまで言われるほど嫌われていた存在でした。

 同じ神殿で祈ったこの二人の祈りは、まことに対照的でした。ファリサイ派の人は神殿の中央に立って、堂々と胸を張って自分が行ってきたことを、一つ一つ並び立てて誇らしげに祈りました。一方、徴税人は、神殿の隅っこに立って、目を天にあげようともせず、胸を打ちながら、ただ一言だけ「神様、罪人のわたしを憐れんでください」(18:13)と祈りました。この対照的な二人の姿を見て、イエス様は次のように言われました。「言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人であって、あのファリサイ派の人ではない。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」(18:14)と。

 イエス様は、ご自分がこの世に来られた目的を「わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」(マタイ9:13)と言われました。またヤコブの手紙4章6節には「神は高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みを賜う」と記されています。イエス様は罪人を招くためにこの世にお出でになり、神様は高ぶる者をしりぞけられ、へりくだる者に恵みをお与えになると約束されています。

ファリサイ派の一員として、自らの行いを誇り、自らを義人と称してきたパウロは、イエス様と出会って大きく変えられ、自分のことを「罪人のかしら」(Ⅰテモテ1:15)だと言い、「誇る者は主を誇れ」(Ⅰコリント1:31)と告白するに至りました。パウロをここまで変えた力は、何処にあったのでしょうか?パウロはそのことを次のように言っています「十字架の言は、滅び行く者には愚かであるが、救いあずかるわたしたちには、神の力である」(Ⅰコリント1:18)と。

 私達も徴税人のように、いつもイエス様の十字架の前にひれ伏し「神様、罪人のわたしを憐れんでください」と日々祈り悔い改めて、歩んで行きましょう。


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