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2024年10月27日「御霊の導きを求める」

2024年10月27日「御霊の導きを求める」

御霊の導きを求める

「さて、イエスは御霊によって荒野に導かれた。悪魔に試みられるためである。」(マタイ4:1)

 二週間前のコラムで「タラントを預けた僕たちに対して、主人は精算の時まで一切口を差し挟まなかった」と書きました。それは、私たちキリスト者が「自分の人生を真に責任ある態度で生きてゆく」ことを心に留めるために、あえて述べたのです。信仰者には「悪しき依存体質」に陥る危険もあるからです。けれどもそれは真理の「一側面」です。父なる神が私たちの人生に、「死後の審きのときまで一切ノータッチ」ということはあり得ません。それどころか、私たちが「座るをも立つをも知り(詩篇139:2)」、私たちの人生に大いに関心を持っておられます。それゆえ主は聖霊を遣わし、私たちの霊の内に住まわせ、私たちの人生を導かれるのです。ですから日々、祈り、御霊の導きを求めてゆきましょう。

 さて、私たちは「御霊に導かれると何か良いことが起こる」と思いがちです。もちろん(最終的には)神のご計画の中を生きる、、、これにまさる人生はありません。けれどもそれは、私にとって「都合の良いこと」「心地よいこと」が続く人生、ということではありません。本日の聖句は、イエス様が御霊に導かれて荒野に行き、そこで悪魔の試みに遭われた箇所です。繰り返しますが、イエス様は悪霊に惑わされて荒野に行ったのではありません。御霊に導かれて荒野に行ったのです。いったい父なる神は何故、イエス様を荒野に導き、悪魔の試みに遭わせるようなことをなさったのでしょうか?

 試練は私たちに「従順」を学ばせてくれる機会です。「キリストは御子であるにもかかわらず、多くの苦しみによって従順を学ばれました。(ヘブライ5:8)」。神の御子イエス様でさえ、従順は「苦しみを通して学ばれた」のです。

 皆さんも振り返ってみれば、「あの辛かった時期が今の私を形づくってくれているなぁ」と実感なさる経験がおありでしょう。御霊は私たちを荒野へ導きますが、その試練をパスするならば、大きな祝福が待っています。イエス様もそうでした。この悪魔の試みに勝利されたのち、驚くべき奇跡の公生涯が始まったのです。さぁ、恐れずに今日も聖霊様の導きを求めて参りましょう!!!(よ)

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