2024年10月6日「1タラントンの僕は何が問題だったのか?」
2024年10月6日「1タラントンの僕は何が問題だったのか?」
1タラントンの僕は何が問題だったのか?
「ところで、一タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、あなたは蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められる厳しい方だと知っていましたので、恐ろしくなり、出かけて行って、あなたのタラントンを地の中に隠しておきました。御覧ください。これがあなたのお金です。』 主人は答えた。『怠け者の悪い僕だ。」(マタイ25:24~26a)
聖書の教訓シリーズは先週で終了です。これらはすべて私が体験した内容ですので、稚拙かもしれませんが、ぜひ参考になさって下さい。
さて、本日の聖句は有名なタラントンの譬えです(マタイ25:14~30)。この譬えは私たちの人生を表しています。創り主なる神は私たちに、かけがえのない人生を与えて下さいました。この地上の生涯を終え、創り主なる神の御前に立つとき、「良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかなものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ(マタイ25:21)」と主が喜んでくださる、、、これにまさる喜びはありませんね。ぜひお互いに、ここを目指してゆきましょう!!!
ところが1タラントン預かった僕は主人から厳しい叱責を受けます。いったい彼の何が問題だったのでしょうか? ルカ福音書では主人が「彼に言った、『悪い僕よ、わたしはあなたの言ったその言葉であなたをさばこう。(ルカ19:22a)』とあります。すなわち、1タラントンの僕は神を「蒔かない所から刈り、散らさない所から集める酷な方」と認識していたので、その通りに裁かれたというのです。これはきわめて重要なポイントです。私たちの神は、防犯カメラのように常に私たちを見張っていて、少しの罪をも見逃さずに捕らえて裁く、恐ろしい方なのでしょうか?
確かに神は、わずかな罪をも忌み嫌われるお方です。けれども、その罪の罰を私たちに負わせることはしないで、罪なき独り子イエス様に負わせ、私たちを赦して下さったのです。ゆえに私たちは神の子とされました。ハレルヤ!!! ですから私たちは愛深い父なる神を信頼して、平安に歩めばよいのです。
神は「清い者には、清い者となり、ひがんだ者には、ひがんだ者となられます。(詩篇18:26)」天のお父さんを誤解することのないように、私自身の魂に良く教えましょう。(よ)