2024年4月28日「天の父の心を知って生きる④」
2024年4月28日「天の父の心を知って生きる④」
天の父の心を知って生きる④
「安息日を心に留め、これを聖別せよ。」(出エジプト20:8)
イエス様は「律法の最も小さい戒めのひとつでも破るなら、天国で最も小さい者と呼ばれる(マタイ5:19)」と言われました。にもかかわらずイエス様は、ことごとく安息日に病人を癒されました。当時の人々の理解に照らすなら明らかに律法違反です。けれどもイエス様は安息日に穴に落ちた家畜を助けることを引き合いに出して、「安息日に病人を癒すことは正しい(律法違反ではない)」と明言されました(マタイ12:9~13)。あるいは、弟子たちが安息日に麦穂を摘んで食べたことを「律法違反だ」と咎められたときも、「安息日は人のためにあるもので、人が安息日のためにあるのではない」と宣言されました(マルコ2:23~28)。これはいったい何を意味しているのでしょうか?
「安息」とは実は聖書全体を貫いている、きわめて重要なテーマです。神は六日間で天地を創造され七日目に安息されました。ゆえに人も六日のあいだ働いて、七日目は安息するようにと定められました。この七日目は単に「仕事を休む」だけでなく、「主と時間を過ごす」「主の中で安息する」日なのです。主はエデンの園でアダム、エバと共に時間を過ごすことを楽しみました(創世記3:8)。人は罪を犯して園を追放されましたが、神は人をあわれんで、独り子を遣わし救うことを計画されました。それは「初めにあった愛の交わりを回復するため」でした。主は私たちと共に時間を過ごすことを、何よりも願っておられるのです。ですから礼拝が重要なのです。主日礼拝、各自の個人礼拝は勿論のこと、歩いていても、仕事をしながらも、床に就いても、いつも主に語りかけ、主と時間を過ごすのです。聖書は「この安息に努力して入らねばならない。さもないと落伍するかもしれない」と戒めています(ヘブライ4:11)。
イエス様は、あえて安息日を破るような行動を通して、人々が本来の安息から逸れてしまっている誤りを正そうとなさったのです。主に仕えること(伝道、奉仕、献金、、、etc)も大切ですが、それ以上に主との安息が大切なのです。自分の子を労働力としか見ない親がいるでしょうか? 父なる神も同じです。ハレルヤ!! 主との安息を楽しみましょう。(よ)