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2024年5月12日「天の父の心を知って生きる⑥」

2024年5月12日「天の父の心を知って生きる⑥」

天の父の心を知って生きる⑥

「殺してはならない。」(出エジプト20:13)

 殺人の禁止は人間社会の秩序維持にとって重要な戒律であることは間違いありません。けれども、私たちのほとんどは、殺人までは犯していないでしょう。しかしイエス様はこの戒めを心のレベルまで引き上げました。「兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。兄弟に『ばか』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、火の地獄に投げ込まれる。」(マタイ5:22) こうなってくると、もはや「自分は守れている」と言える人は一人もいないのではないでしょうか。だとすると、神は私たちを全員、地獄の火に投げ込むつもりなのでしょうか?

 もちろん、そんなことはありません。神はご自分の独り子をさえ惜しまずに、私たちの罪の身代わりとして差し出すほどに、私たちを愛しておられます。私たちがひとりも滅びずに永遠の命を得ることを切に願っておられるのです(ヨハネ3:16)。ではいったいイエス様は何故あのように言われたのでしょうか? その答えは続くイエス様の言葉にあります。イエス様は恨み、反感を放置せずに、ただちに「仲直りせよ」と言われました。たとえそれが礼拝の最中であったとしても、いったん礼拝を中断して「仲直りせよ」と。

 箴言には「争いの初めは水がもれるのに似ている(箴言17:14)」とあります。水漏れは、最初はポタポタとわずかです。その段階ですぐに対処しておけば被害は少なくて済みます。けれども放置するならどんどん水漏れはひどくなり、取り返しのつかない損害を被ることになります。同じように争いも、できるだけ早く対処せよ、と主は戒めておられるのです。心の中で腹が立つことはあるでしょう。けれどもその段階で対処するなら、大きなケンカになることは防げます。

「怒ることがあっても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません。」(エフェソ4:26)

「あなたがたは怒っても、罪を犯してはならない。床の上で静かに自分の心に語りなさい。」(詩篇4:4口語訳) 

 一日の終わりに自ら省みて、他者に対して抱いた怒り、悪感情があったならば、正直に主の御前に告白し、主の血潮で洗いきよめて頂きましょう。それが平和で幸せな人間関係を築く生き方です。(よ)

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