2024年6月23日「自分の決心か、主の訪れか」
2024年6月23日「自分の決心か、主の訪れか」
自分の決心か、主の訪れか
「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。」(ヨハネ15:16a)
伝道集会等ではしばしば「救いの決心の招き」がなされます。福音が語られたあと、未信者の方々に対して「今、イエス・キリストをあなたの救い主として受け入れましょう」と。これは素晴らしい招きであり、聖書的に根拠があります。「実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです(ローマ10:10)」とありますから。ですが、救いは「私の決心」だけの問題なのでしょうか?
最近、ある兄弟の証しを聴く機会がありました。彼は高校時代、同級の女性に心を惹かれ、何度もラブレターを出したのですが、その時は「なしのつぶて」でした。ところが十数年が過ぎ、同窓会をきっかけに、彼女が一度は結婚したがその後離婚し、今はシングルマザーでいることが分かります。そこで彼がもう一度彼女に自分の想いを伝えると、「私はクリスチャンになりました。次に結婚する相手はクリスチャンと決めています」という思いがけない返事。驚きながらも、彼女のためにと、彼は毎週教会に通い始めました。信仰書やビデオ教材なども買い求め、一生懸命求道生活を続けるのですが、どうしても信じることができません。それどころか怒りが湧いてきたそうです。自分はこんなに一生懸命求道しているのに、まったく信じられない。一方彼女は、「早く、こっちにいらっしゃい」とばかり「高みの見物」かと思われた。そうして悶々と約一年が経ったある日、とうとう彼の怒りが爆発し、あれほど恋い慕っていたはずの彼女を、さんざん口撃して交際は終わったそうです。それっきり教会に行くのも止めてしまった。ところが月日が経ち、その口論をきっかけに、彼は自分が罪人であることを知らされたそうです。礼拝説教で「あなたは罪人です」と語られるたびに「そんなはずはない」と腹を立てていた自分が、まさにどうしようもない罪人だった。そして再び教会に集い始め、3ケ月後に受洗したそうです。その後、彼女と結婚し、約20年が経ち、今は二人とも献身して神学校で学んでおられます。
救いとは自分の決心も大切ですが、その決心さえも主の選びと主の訪れなしには為し得ないことを知らされます。すべては主の恵みなのです。(よ)
