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2024年8月18日「聖書の教訓⑧ 人を恐れると罠に陥る」

2024年8月18日「聖書の教訓⑧ 人を恐れると罠に陥る」

聖書の教訓⑧「人を恐れると罠に陥る」

「人を恐れると、わなに陥る、主に信頼する者は安らかである。」(箴言29:25 口語訳)

 私は職場で何か決断しようとするとき、(事の大小にかかわらず)いつも本日の御言を思い起こして自問しました。「私は今、なぜこれをしようとしているのか?」「それをしようとするのは、人を恐れているからではないだろうか?」と。人を恐れると罠に陥る、と本日の御言は警告しています。では人を恐れずに生きるにはどうしたら良いのでしょうか? 答えは「主を畏れて生きる」ことです。私がこれからしようとすることは、主の目にどう映るだろうか? 主は私をご覧になって「それで良い。それをしなさい」と言われるだろうか? そう自らに問うのです。

 仕事には、真に重要で本質的な仕事がある一方で、いったいこれは誰のために、何のためにやっているのだろう、という仕事もあります。もちろん、自分の視点からは無意味に思える仕事でも、それは単に自分の視座が低いだけで、実は意味のある仕事、ということもあるでしょう。ですから「私はこの仕事に意味があるとは思えませんから、やりません」というのは、決して正しい態度とは言えません。

 けれども、だからと言って何も考えずに、ただ言われたことだけをしていれば良い、というのは淋しいですよね。職場での仕事も含めて、私たちがこの地上で生かされている日の間、為す全ての手の業が、人を恐れて行うのではなく、主を畏れて為す業でありますように、と祈ります。
主を畏れて仕事に励むとき、真の改善や提案が生まれてきます。そこには喜びとやりがいがあります。そして人の目を恐れずに仕事をするなら、常にリラックスでき、真に重要で本質的な仕事に全力を注ぐことができるのです。

 私たちは誰しも、相手によって態度を変えてしまう弱さを持っています。強い相手の前ではおもねり、弱い相手の前では、高飛車な態度を取ってしまいがちです。けれども、こういう人は信用されません。主を畏れて生きる、とは誰を前にしても恐れない、態度を変えない、ということです。それは難しいことで、私の肉の力では到底なしえませんが、我が内におられる聖霊様に聴き従うとき、主ご自身が天から力を与えてくださると信じます。(よ)

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