2024年8月25日「聖書の教訓⑨ 稼ぎに追いつく貧乏なし」
2024年8月25日「聖書の教訓⑨ 稼ぎに追いつく貧乏なし」
聖書の教訓⑨「稼ぎに追いつく貧乏なし」
「なまけ者よ、ありのところへ行き、そのすることを見て、知恵を得よ。ありは、かしらなく、つかさなく、王もないが、夏のうちに食物をそなえ、刈入れの時に、かてを集める。なまけ者よ、いつまで寝ているのか、いつ目をさまして起きるのか。しばらく眠り、しばらくまどろみ、手をこまぬいて、またしばらく休む。それゆえ、貧しさは盗びとのようにあなたに来り、乏しさは、つわもののようにあなたに来る。」(箴言6:6~11 口語訳)
本日の聖句はイソップ寓話の有名な「蟻とキリギリス」を想起させます。また本日のタイトル「稼ぎに追いつく貧乏なし」は日本の諺ではないか、と思われるでしょう。その通りですが、実はこれらのオリジナルは聖書にあります。御言には「怠け者には貧しさが盗人のように、乏しさが強者(つわもの)のように来る」とあります。すなわち、盗人とは「不意に襲ってくる」譬えであり、強者とは「強靭なレスラーによって打ち負かされる」イメージです。では、そのように「貧困に追いつかれないため」にはどうすればよいのでしょう?聖書は「蟻のところへ行って、そのすることを見て、学びなさい」と言っています。
蟻は、一度に大きな仕事をすることはできません。けれども、絶え間なく動き続けています。そのように、日々、コツコツと、迷うことなく、疑うことなく、立ち止まることなく働き続けるならば、ついには事を成し遂げます。
だからと言って、聖書は休むことを否定しているわけではありません。六日のあいだ働いて、七日目に安息することは神が定めた大切な戒めです。しかし、本日の聖句には「しばらく眠り、しばらくまどろみ、手をこまぬいて、またしばらく休む」とあります。つまり、働いているのか休んでいるのか、よくわからない中途半端な時間を、ダラダラと過ごしている生きざまを戒めているのです。
キリスト者であり哲学者であったヒルティは「幸福論」の中で、仕事について「まず鍬で一打ちせよ。定規で線を一本引け」と教えています。つまり、思案しているよりも、まず仕事に手をつけよ、という勧めです。そうすれば、事はすでに半分終わったようなものである、と。さぁ、今週も元気を出して、なすべき務めに励んで参りましょう!(よ)