2024年9月29日「聖書の教訓⑭ 義に過ぎてはならない」
2024年9月29日「聖書の教訓⑭ 義に過ぎてはならない」
聖書の教訓⑭「義に過ぎてはならない」
「あなたは義に過ぎてはならない。また賢きに過ぎてはならない。あなたはどうして自分を滅ぼしてよかろうか。」(伝道の書7:16 口語訳)
私たちクリスチャンは基本的に真面目なので、何事も一生懸命頑張りがちです。徹底しようとします。また正義感の強い方が多いので、不正や、間違ったこと、中途半端なことは許せない、という傾向があるように思います。もちろん、それは悪いことではありません。否、むしろキリストの似姿に変えられれば変えられるほど、罪に対する鋭敏さは増してくるでしょう。しかし、本日の御言は実に興味深いことを述べています。「義に過ぎてはならない」と。これは一体どういうことなのでしょうか? 「世の中の悪も不正も見て見ぬふりをして、適当にやりなさい」という意味なのでしょうか?
イエス様は「ひとを裁くな。自分が裁かれないためである。・・・中略・・・まず自分の目にある梁を取り除けるがよい。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目から塵を取り除けることができるだろう(マタイ7:1~5)」と言われました。すなわち、自分自身の罪に対して、聖さに対して敏感になることは主の御心です。今まで、なんとも感じなかったことが、「あぁ、これは主に喜ばれないことだ」と悟らされて、その罪を離れようと祈り求めてゆくことは、キリスト者の聖化のプロセスであり、健全な姿です。けれども、その尺度で職場、家庭、学校、私たちの周囲を測るならどうなるでしょう? 問題だらけです。許せないこと、見逃せないことだらけです。そして、私たちが「義に過ぎた」なら、自分を滅ぼすことになるでしょう。
私自身、職場では葛藤の連続でした。不正も、ハラスメントも、後を絶ちません。そのたびに私は祈りました。そしてどう対処すべきか聖霊様の導きを求めました。最終的に大きな不正事件を明らかにして解決したこともありました。けれども、すべては主の導きに従いました。「肉は何の役にも立たない(ヨハネ6:63)」からです。「世の光として闇を照らす」とは「正論を振りかざす」ということとは違います。実は世の人々も善悪の区別は分かっているのです。ですから、そこに神の国と神の義が実現するよう、上からの知恵と力を求めましょう。(よ)
