2025年1月19日「二人の金持ち」
2025年1月19日「二人の金持ち」
二人の金持ち
「これを聞いて、イエスは言われた。『あなたに欠けているものがまだ一つある。持っている物をすべて売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。』しかし、その人はこれを聞いて非常に悲しんだ。大変な金持ちだったからである。」(ルカ18:22~23)
本日の聖句は、ある議員がイエス様に「何をすれば永遠の命を受けられますか?」と訊ねるところから始まります。イエス様が律法をいくつか挙げると、「それらはみな、子どもの時から守ってきました」と彼は答える。そこで冒頭の聖句です。そしてイエス様は「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」と言われました。ここだけを読むと、金持ちは救われないのか、と思えます。
ところが、そのすぐ後で金持ちの徴税人ザアカイは、あっさり救われてしまいます(ルカ19:1~10)。確かにザアカイは「財産の半分を貧しい人々に施し、不当な取り立てをしていたら四倍にして返します」と言って自分の財産を手放しました。ですから先の議員に対してイエス様が求めた要求を、ザアカイは満たしたと言えるでしょう。でもそれはイエス様が、皆から嫌われていたザアカイに対して、名前を呼んで「今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい」と愛を示されたからではないでしょうか。ザアカイはイエス様の愛に感動して自分の財産を手放したのでしょう。あの議員の時とは、イエス様の態度があまりにも違い過ぎではないでしょうか?なぜイエス様は、あの議員にはあのような態度を取られたのでしょうか?
実は、あの議員には「自分は律法を守れていない」と悟らせる必要がありました。彼は「守れている」と思っていましたが、隣人を自分のように愛するならば、貧しい人々を見過ごしにして、自分だけ金持ちのままではいられなかったはずだ、とイエス様はおっしゃりたかったのです。厳しいようですが、これもイエス様の愛なのです。
私は、あの議員はあのまま終わらなかったと思います。なぜなら、「非常に悲しんだ」とは「自分は律法を守れていなかった」という自覚に至ったからです。そこに希望があります。二人の金持ちに対するイエス様の態度は、どちらもイエス様の愛であったことを覚えたいと思います。(よ)
