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2025年2月16日「神の義と神の怒りの啓示」

2025年2月16日「神の義と神の怒りの啓示」

神の義と神の怒りの啓示

「神の義は、その福音の中に啓示され、信仰に始まり信仰に至らせる。これは、「信仰による義人は生きる」と書いてあるとおりである。神の怒りは、不義をもって真理をはばもうとする人間のあらゆる不信心と不義とに対して、天から啓示される。」(ローマ1:17~18 口語訳)

 本日の箇所は原語では「神の義」と「神の怒り」の両方とも「アポカリュプトー(啓示する)」という動詞が使われています。つまり、17節と18節は対になっているのです。ではいったい神の義と神の怒りはどこに啓示されたのでしょうか?十字架の上で、御子イエス・キリストにおいて啓示されたのです。

 神はどこまでも聖いお方です。義なるお方です。少しの罪も見過ごしにはできません。ですから神は私たちの罪に対して怒りを下されました。どこへ下されたのでしょうか?御子イエスの上に、です。私たちの上に、ではなく、ご自分の独り子の上にその怒りを下されたのです。ハレルヤ!!! 何ということでしょう!!! 十字架の上でイエス様は、私たちの身代わりとなって神の怒りを一身に受けて下さいました。それゆえ、この十字架のあがないを信じる私たちは、もはや罪に定められることなく、神の目に義と見なされるのです。まさに神の義と神の怒りがイエス・キリストの十字架の上で啓示されたのです。

 ですから、もはや私たちは神の怒りを恐れる必要はないのです。神さまは、もはや怒ってはおられません。神さまは私たちの幸せを願っておられます。天のお父さんです。神さまの前にビクビクしながら、「ごめんなさい、ごめんなさい」と謝りながら近づくのは間違っています。

 「悔い改め」と訳されている語は、ギリシア語ではメタノイア、ヘブライ語ではシューブといい、いずれも「方向を変える」「立ち帰る」という意味です。「悔いる」という意味はありません。私たちは、ただ主に向き直りさえすれば良いのです。仕事に追われてヘトヘトなとき、主を見上げるのです。親の介護で、子育てで、健康上の問題で、経済的な困難で、頭が一杯のとき、主を仰ぎ見るのです。日々の悔い改めとは、自分のアラ探しをすることではありません。さぁ、目を上げて主を仰ぎ見ましょう。そのとき天のお父さんは喜んで下さいます。そして私の内にも喜びが湧きあがってくるでしょう。(よ)

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