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2025年2月23日「執り成すということ」

2025年2月23日「執り成すということ」

執り成すということ

「そこで、ぶどう園の番人に言った。『見なさい。三年間、このいちじくの木に実を探しに来ているが、見つからない。だから、切り倒してしまいなさい。何のために土地まで無駄にしているのか。』番人は答えた。『ご主人様、どうか、今年もう一年そのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥料をやってみます。」(ルカ13:7~8 新改訳2017)

 先日「小学校~それは小さな社会~」という映画を観ました。これはある公立小学校の一年間を記録したドキュメンタリーで、小学校に入って成長してゆく子どもたちの姿をありのまま伝えています。秀作で、そのまま観て楽しめる作品ですが、「日本人の持つ高い集団性、協調性は小学校で作られる」という実に興味深いテーマを扱っています。

 合奏練習の場面。小学一年生の女児が一生懸命練習してオーディションを通り、シンバル奏者に選ばれます。大喜びするのですが、いざリハーサルになると間違えてばかり。音楽教諭はミスを指摘します。「楽譜を忘れちゃったんです」と言い訳する彼女に、教諭が他の生徒たちを見回すよう促すと、みんなは「暗譜している」と声をそろえる。「あなたはオーディションが通ればそれでおしまいですか」と教諭。泣きじゃくる彼女に「泣いていれば上達するんですか」とたたみかける(いやぁ、厳しい・・・)。リハーサルが終わって、すっかり落ち込んでしまった彼女は、担任の先生にしがみついて離れない。「大丈夫だよ、きっとできるよ」と励ます先生。でも彼女は「できない。きっと失敗してまた怒られる」と怯えている。その時、この担任の先生は驚くべき一言を発したのです。「大丈夫。そのときは先生も一緒に怒られてあげる」。私は落涙を禁じ得ませんでした。

 本日の御言は、イエス様の執り成す姿を示しています。実を結ばない木に怒って「切り倒してしまえ」という主人に対し、「どうかもう一年待ってください」と懇願する番人は、まさにイエス様の私たちに対する姿です。イエス様は私たちの側に立って下さるのです。私たちが罪を犯したとき、神の御旨に反したとき、イエス様は私たちの側に立って執り成して下さるのです。ハレルヤ!!! 誰も完璧な人はいません。けれども今日も神の右の座で執り成して下さるイエス様を信頼してゆきましょう。(よ)

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