私たちは聖書を信じるプロテスタントの教会です。          【教会目標】 キリストの愛が満ち 福音宣教に生きる教会

2025年3月16日「欲と罪と死」

2025年3月16日「欲と罪と死」

欲と罪と死

「そして、欲望ははらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます」(ヤコブ1:15)

 聖書はいわゆる禁欲主義ではありません。性欲や食欲を否定するのは悪霊の教えです(Ⅰテモテ4:3)。欲=罪ではないのです。けれども欲をむさぼり続け、エスカレートするなら、それはやがて罪の領域に入ってゆきます。そして、その罪の生活に留まり続けるなら、ついには死に至ると本日の御言は警告しています。性欲、食欲、その他の欲はそれ自体、否定されるべきものではなく、主からの祝福です。けれども欲をむさぼり続けるなら、罪に至り、死に至るのです。

 精神的な欲も同様です。たとえば自尊心は「自らを尊ぶ心」です。これは重要です。低い自尊心は自分の人生を諦めてしまいます。「自分なんか、いてもいなくても同じだ」などと自分を賤しめてはなりません。私たちは偶然生まれてきたのではなく、ひとりひとり天の父なる神様が、深い愛と大きなご計画をもって今の時代に生まれさせ、生かして下さっているのです。ですから主にあって健全な自尊心を持ちましょう。私は、かけがえのない尊い存在なのです。

 けれども自尊心も度を超すと人生を狂わせることとなります。職場で「なんでアイツが俺より先に昇進するんだ(怒)!!!」などと出世のスピードを争い、ねたみや嫉妬心に囚われてしまうのです。聖書は「怒っても罪を犯してはならない。」(エフェソ4:26)と言っています。つまり怒り=罪ではないのです。しかしエフェソ書は続けて「憤ったままで日が暮れるようであってはならない」と言っています。すなわち、「憤ったままで眠るな」というのです。私たちが怒りを抱いたまま眠ると、睡眠中にその怒りが私の心中に刻み込まれてしまうのです。ですから一日の終わりに主の御前に悔い改め、主の血潮で洗い聖めて頂きましょう。

 私たちが日々御言を朗読し、主と祈りの中で対話しているなら、欲がエスカレートして度を越しそうになるときには必ず主から警告が来ます。その警告を無視してはなりません。それはちょうどガードレールのある山道を走行するようなものです。断崖絶壁の細い山道でも、ガードレールを目の端に入れて運転すれば安全ですよね。人生も同じです。聖霊様に導かれて、安全な道、いのちの道を歩んで参りましょう。(よ)

powered by Quick Homepage Maker 4.91
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional