私たちは聖書を信じるプロテスタントの教会です。          【教会目標】 キリストの愛が満ち 福音宣教に生きる教会

2025年3月2日「祈りの本質」

2025年3月2日「祈りの本質」

祈りの本質

「すなわち、わたしたちが見たもの、聞いたものを、あなたがたにも告げ知らせる。それは、あなたがたも、わたしたちの交わりにあずかるようになるためである。わたしたちの交わりとは、父ならびに御子イエス・キリストとの交わりのことである。」(第一ヨハネ1:3 口語訳)

 祈りは主との対話です。祈りの時、私たちは主に願います。けれども同時に主も私たちに語りかけようとされています。ですから、「主よ、あなたはどう思われますか?」と口に出して語りかけ、霊の耳を澄まして、主の御声を聴きましょう。

 カナンの女性は大声で、「ダビデの子よ、私を憐れんでください」と叫び続けましたが、イエス様は一言もお答えになりませんでした。けれども、彼女がイエス様に近づき、ひれ伏して語りかけたときに、イエス様はお答えになりました。彼女に聴く準備ができたからです。対話が成立したのです(マタイ15:21~28)。

 私たちの祈りが、「ただ願い事が叶いさえすればよい」というだけだとしたら、それは淋しいものです。神は私たちにとって、ただ願いを叶えてくれるだけの存在なのでしょうか?いいえ、私たちの神は天のお父さんです。私の人生に最高のプランを用意しておられる愛深いお父さんです。ですから、私の願い以上に、あの方が私に対して持っておられるプランのほうが素晴らしいに決まっています。このことを体験したなら、「あなたの御心通りになりますように」という祈りは、諦めや建前ではなく、私の心底からの願いとなるでしょう。

 また祈りは主との交わりです。ダビデは何よりもこの交わりを求めました。「一つのことを私は主に願った。それを私は求めている。私のいのちの日の限り、主の家に住むことを。主の麗しさに目を注ぎ、その宮で思いを巡らすために。」(詩篇27:4新改訳2017) ダビデの生涯は多忙でした。王として国を治め、戦いの指揮を執り、自分の子に反逆されるなど家庭の問題も絶えませんでした。そのような苦難に満ちた日々を支えたのは、主との交わりの時間だったのです。

 私たちにとって主と過ごす時間は何よりの喜び、楽しみです。たとえ不安や悩み、やり場のない憤りに満たされて祈り始めたとしても、主の臨在に包まれ、主の語りかけを聴くなかで、癒され、解放され、新しくされるのです。ハレルヤ!!!(よ)

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