私たちは聖書を信じるプロテスタントの教会です。          【教会目標】 キリストの愛が満ち 福音宣教に生きる教会

2025年3月9日「私の内におられるイエス様」

2025年3月9日「私の内におられるイエス様」

私の内におられるイエス様

「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。」(ガラテヤ2:20a)

 先週2月28日(金)にホサナハウスでずっと祈られてきた鈴木正栄姉が受洗されました。まことに主は生きておられ、正栄姉を苦難の中から救い出そうとして、佐藤洋子姉との出会いをお導き下さり、受洗に至らせて下さったのだと私は感じました。ただただ主を讃えます。この日、正栄姉がご自分の半生を語って下さいました。それはまさに壮絶な歩みで、そのような苦難の中を正栄姉は真面目に、ひたむきに生きて来られたのです。けれども、身体の痛みと強い不安の中で、「どこかに救いはないのだろうか」と求め続け、佐藤洋子姉との出会いを通して、「私も佐藤さんが信じる神さまを信じたい」との思いに至ったそうです。ハレルヤ!!! 主は必ず鈴木正栄姉を、あらゆる苦しみから救い出して下さると信じます!!

 パウロはフィリピ書の中で、「わたしに倣う者となりなさい(フィリピ3:17)」と言っています。これは一見、とても傲慢な態度のようにも見えます。「キリストに倣いなさい」と言うならわかるが、「わたしに倣いなさい」とは何様のつもりか、と。けれども、ここでパウロが言わんとしていることは、私の内にキリストが生きておられるゆえに、私に倣いなさい、ということだと思います。パウロは、「自分はキリストと共に十字架につけられて葬られた。生きているのはもはや私ではない。キリストが私の内に生きておられるのです。」とのガラテヤ20章19~20節を心底、信じ切っているのです。

 今回、鈴木正栄姉がおっしゃった、「佐藤さんが信じている神さまを、私も信じたいと思った」という言葉は、まさに佐藤姉の内にキリストが生きておられる証しであると感じました。私たちがキリストを証しする、というのは「私が頑張ってキリストをあらわそう」ではなく、私の内におられるキリストの光が私から流れ出てゆく、ということだと思うのです。しかも、それは土の器である私の、欠けから、ひび割れたところから、キリストの光が輝くのです。ですから、私たちは欠けだらけの私を嘆くのではなく、このような欠点だらけの私でさえも、主は用いてご自身の栄光を顕されることを信じ、期待しましょう。(よ)

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