牧師室より2
牧師室より2
※過去のものは右サイドのメニューバーの下の方の「牧師室より1」をご覧ください。
2023年12月2日 土曜日
おはようございます。
礼拝の賛美歌は、聖書朗読や説教の「前座」ではありません。
賛美は礼拝そのものです。
詩編92:2 いかに楽しいことでしょう、主に感謝をささげることは、いと高き神よ、御名をほめ歌い 92:3 朝ごとに、あなたの慈しみを、夜ごとに、あなたのまことを述べ伝えることは 92:4 十弦の琴に合わせ、竪琴に合わせ、琴の調べに合わせて。92:5 主よ、あなたは、御業を喜び祝わせてくださいます。わたしは御手の業を喜び歌います。92:6 主よ、御業はいかに大きく、御計らいはいかに深いことでしょう。
「主よ、あなたは、御業を喜び祝わせてくださいます」とあるように、賛美はわたしたちが自分からすすんでささげているようでありながら、主がそのようにさせてくださるのです。導いてくださるのです。
「主よ、御業はいかに大きく、御計らいはいかに深い」とあるように、賛美は、神さまの大きな御業、深い御計らいに感謝してささげる礼拝なのですが、同時に、賛美と礼拝が、神さまの大きな御業、深い御計らいそのものでもあるのです。
2023年12月1日 金曜日
おはようございます。
詩編32:2 いかに幸いなことでしょう、主に咎を数えられず、心に欺きのない人は。
「主に咎を数えられず、心に欺きのない人」とは、じつは、罪を犯していない人のことではありません。
32:1 いかに幸いなことでしょう、背きを赦され、罪を覆っていただいた者は。
「主に咎を数えられない」人とは、じつは、「背きを赦され」、罪を犯しているにもかかわらずその全身の傷を神さまに包み込んでいただいている人のことなのです。
32:3 わたしは黙し続けて、絶え間ない呻きに骨まで朽ち果てました。32:4 御手は昼も夜もわたしの上に重く、わたしの力は、夏の日照りにあって衰え果てました。
ダビデは自分の罪の重さに打ちひしがれました。神さまの御手も、ダビデの上に重くのしかかり、ダビデは憔悴しました。
32:5 わたしは罪をあなたに示し、咎を隠しませんでした。わたしは言いました、「主にわたしの背きを告白しよう」と。そのとき、あなたはわたしの罪と過ちを、赦してくださいました。
それにもかかわらず、ダビデは罪をさらに深く見つめ、告白しました。
すると、神さまはダビデの罪をお赦しくださったのです。
このダビデのような姿こそが、「主に咎を数えられず、心に欺きのない」、真に幸いな人なのです。
2023年11月30日 木曜日
おはようございます。
わたしたちは、イエス・キリストを信じる信仰によって救われる、と言います。
ガラテヤの信徒への手紙2:16 人は律法の実行ではなく、ただイエス・キリストへの信仰によって義とされると知って、わたしたちもキリスト・イエスを信じました・・・なぜなら、律法の実行によっては、だれ一人として義とされないからです。
では、わたしたちは、行動においては、何をしてもかまわないのでしょうか。
パウロは同じ手紙でこう言います。
6:2 互いに重荷を担いなさい。そのようにしてこそ、キリストの律法を全うすることになるのです。
6:7 神は、人から侮られることはありません。人は、自分の蒔いたものを、また刈り取ることになるのです。
6:9 たゆまず善を行いましょう。
信仰によって救われた者には、旧約聖書の律法ではなく、「キリストの律法」が与えられます。
じつは、これは、旧約聖書の律法の根本に立ち帰った律法であり、愛の律法、神さまと隣人を愛する律法です。
信仰によって救われた者は、このキリストの愛の律法を担う者へと成長を促されるのです。
2023年11月29日 水曜日
おはようございます。
わたしたちの肉体はこの世の旅を終えたら土に還っていくものです。 わたしたちは、いわば、土からできた器です。
創世記2:7 主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくられた。
コリントの信徒への手紙二4:7 ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。
けれども、この土の器の中には、じつは、じつにすばらしいものがあるのです。
創世記2:7 主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。
神さまは土の器であるわたしたちの肉体に、神さまの命の息を吹き込んでくださったのです。
コリントの信徒への手紙二4:6 「闇から光が輝き出よ」と命じられた神は、わたしたちの心の内に輝いて、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光を与えてくださいました。
4:7の「このような宝」とは、神さまの「光」のことだったのです。
わたしたちは土の器、もろく弱い者ですが、この器の中には、神さまの命の息、神さまの光があるのです。つまり、わたしたちの中には神さまがともにいらしてくださるのです。
2023年11月28日 火曜日
おはようございます。
苦しんでいる時、神さまがいらしてくださるのに、神さま以外のものにあたかもそれが神であるかのようにすがろうとしてしまう試練を、わたしたちは受けます。
このように、試練は、神さまがわたしたちの根本の支えでいらしてくださるからこそ起こることですから、その意味では、試練は神さまが与えてくださるものである、と受け取ることもできるでしょう。
コリントの信徒への手紙一10:13 神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。
けれども、神さまは、試練だけでなく、試練に耐える道、試練から逃れる道を与えてくださいます。
それは、どのようなものでしょうか。
エフェソ6:13 だから、邪悪な日によく抵抗し、すべてを成し遂げて、しっかりと立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。
神さまの武具とは、具体的には、真理、正義、平和の福音、信仰、救い、霊に支えられた祈りである、とパウロは言います。
つまり、神さま以外のものを神のように頼ってしまいたいくらいに苦しい時でも、神さまの真理、神さまの正義、神さまの平和の福音、神さまがくださった信仰、神さまの救い、神さまに支えられた祈りが、わたしたちを守ってくださるのです。
2023年11月27日 月曜日
おはようございます。
走るのが速い人もいれば、遅い人もいます。
人の目には、早い人は優れていて、遅い人は劣っているように見えてしまいます。
けれども、じつは、どちらの人が走る姿の内にも、神さまがおられるのです。
エフェソ4:6 すべてのものの父である神は唯一であって、すべてのものの上にあり、すべてのものを通して働き、すべてのものの内におられます。4:7 しかし、わたしたち一人一人に、キリストの賜物のはかりに従って、恵みが与えられています。
神さまの恵みは、わたしたち一人一人にあわせて与えられます。それは、功績に従って与えられる褒賞ではなく、親が子どもたちそれぞれに選ぶ様々なプレゼントのようなものです。
速いように見える走りも、遅いように見える走りも、どちらも、神さまが与えてくださった恵みです。
そして、どちらの恵みの内にも、神さまがおられます。
なぜなら、神さまは、すべてのものを上から見守ってくださり、すべてのものを働きに用いてくださり、すべてものの内側にともにいらしてくださるからです。
2023年11月26日 主日(日曜日)
おはようございます。
イザヤ書30:23 主は、あなたが地に蒔く種に雨を与えられる。地の産み出す穀物は豊かに実る。30:26 主が民の傷を包み、重い打ち傷をいやされる日、月の光は太陽の光になり、太陽の光は七倍になり、七つの日の光となる。
今は不毛のように思えても、あなたのその想いは、やがて、かならず、芽を出し、育ち、実を結びます。
今の重い打ち傷はきっと癒され、闇は太陽七つの光になることでしょう。
2023年11月25日 土曜日
おはようございます。
あなたの胸の左右は、思い煩いでいっぱいになっていないでしょうか。
コヘレトの言葉4:6 片手を満たして、憩いを得るのは、両手を満たして、なお労苦するよりも良い。それは風を追うようなことだ。
不安や絶望や苦痛や嫌な思いを、両手のひらに載せていないでしょうか。
ならば、思い切って、その手のひらをくるっと下に向けて、落ち葉のようにすべてを大地に返してみませんか。
そして、片手のひらをもう一度上にして、それで、天からの憩いをそっと受け取ってみませんか。
両手にも載せきれないほどの苦しみよりも、片手で静かにいただける上よりの平安をいただきませんか。
神さまからの恵みは、両手にも収まらないほどゆたかですが、片手で支えられるくらいに軽やかなのです。
マタイ11:30 わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽い
2023年11月24日 金曜日
おはようございます。
イエスさまを信じる人は復活します。
これはどういうことでしょうか。
ヨハネによる福音書11:25 イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。11:26 生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」
イエスさまご自身が、復活そのものであり、永遠の命そのものです。
ですから、イエスさまを信頼し、イエスさまにつながる者は、地上の旅を終えても、その信頼とそのつながりが終わることはありません。
生きている今イエスさまを信じれば、すでに、復活、永遠の命の中にあり、それは、地上の旅のあともつづくのです。
わたしたちは今すでに神さまとつながっています。そしてこの世から去ったあともつながっています。このつながりを「永遠の命」と呼びます。このつながりが切れることが死ですが、イエスさまを信じていればけっして切れることはありません。
わたしたちはこの世にあるときも死んだも同然の経験や苦難に見舞われます。それでもイエスさまを信じれば、神さまとのつながりはけっして切れることはありません。
み言葉と祈りと賛美とイエスさまへの信仰を通して、神さまの愛によって、わたしたちは復活に入れられるのです。
2023年11月23日 木曜日
おはようございます。
その涙を神さまはかならずぬぐってくださいます。
列王記下20:5 あなたの父祖ダビデの神、主はこう言われる。わたしはあなたの祈りを聞き、涙を見た。見よ、わたしはあなたをいやし、三日目にあなたは主の神殿に上れるだろう。
ヒゼキヤ王は死の病に見舞われましたが、涙を流して、神さまに祈りました。
すると、神さまは「わたしはあなたの祈りを聞き、涙を見た。あなたをいやす」と答えてくださったのです。
詩編詩人はこう歌います。
詩編126:5 涙と共に種を蒔く人は、喜びの歌と共に刈り入れる。
ただ泣いているのではないのです。種を蒔いているのです。
その種はかならず芽を出し、茎をのばし、ゆたかに実ることでしょう。
喜びに満ちてそれを刈り入れる日は、もうそう遠くはありません。
夜明けは近いのです。
2023年11月22日 水曜日
おはようございます。
わたしたちは、一度、倒れたら、二度と起き上がれないのでしょうか。
いいえ。主が起き上がらせてくださいます。
エレミヤ書31:3 遠くから、主はわたしに現れた。わたしは、とこしえの愛をもってあなたを愛し、変わることなく慈しみを注ぐ。31:4 おとめイスラエルよ、再び、わたしはあなたを固く建てる。再び、あなたは太鼓をかかえ、楽を奏する人々と共に踊り出る。31:5 再び、あなたは、サマリアの山々にぶどうの木を植える。植えた人が、植えたその実の初物を味わう。
神さまは、天からこの地上のわたしのところまで遠路お越しくださいます。
そして、言われます。
「わたしはあなたをけっして見捨てない。
とこしえにあなたを愛し続ける。
永遠に慈しみ続ける。
あなたは、いちど、壊れそうになったが、今、わたしがあなたをしっかりと建て直す。
あなたは、ふたたび、わたしを賛美する群れに戻って来る。
あなたは、もういちど、木を植える。
その木は、かならず、ゆたかな実を結ぶ。」
たとえ倒れようとも、何度倒れようとも、神さまがかならず起き上がらせてくださいます。
2023年11月21日 火曜日
おはようございます。
わたしたちの祈りを神さまがきいてくださるとは、どういうことでしょうか。
神さまはわたしたちの祈りをきいてくださるのでしょうか。
詩編66:19 神はわたしの祈る声に耳を傾け、聞き入れてくださいました。66:20 神をたたえよ。神はわたしの祈りを退けることなく、慈しみを拒まれませんでした。
わたしたちの願いがそのままかなうこともあれば、そのままではかなわないこともあるでしょう。
けれども、「そのまま」ではなくても、「違う形」でかなえられていることも少なくないのではないでしょうか。
いずれにせよ、神さまがわたしたちの「祈る声に耳を傾け」てくださることは、たしかです。
神さまがわたしたちの「祈りを退けることなく、慈しみを拒まれない」こともたしかです。
神さまが、わたしたちの祈りを退けずに、耳を傾けてくださる、慈しんでくださる。
やはり、神さまは、わたしたちの祈りを聞いてくださるのです。
わたしたちが静かに祈り、神さまが静かに聞いてくださる。
このとき、すでに、わたしたちの祈りは聞き入れられているのです。
2023年11月20日 月曜日
おはようございます。
フィリピの信徒への手紙2:3 何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、2:4 めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。2:5 互いにこのことを心がけなさい。それはキリスト・イエスにもみられるものです。
わたしたちは、自分のことばかりで、相手のことはあまり深く考えていない場合があります。
相手のことを思いやらないだけでなく、相手のことを思いやっているようであっても、それは、じつは、「相手を思いやりたい、という自分の思いを果たそうとしている」ような場合もあります。
よかれと思ってなすことの中にさえ、自分中心の考えが潜んでいます。
わたしたちは、相手の気持ちを自分の気持ちで考えるのではなく、相手の気持ちを相手の気持ちで考えるように心がけたいと思います。
イエス・キリストは、徹底的にそうなさいました。イエス・キリストの十字架は、わたしたちに直接何かをしてくださろうとした、というよりは、ご自分のことを徹底的に放棄なさった結果のことで、それが、わたしたちを救ってくださったのです。
わたしたちも、相手のために何かをしたいという自分の気持ちを貫くよりも、その自分の気持ちさえ放棄することが、結果的に相手を大事にすることになる場合があるのではないでしょうか。
2023年11月19日 主日(日曜日)
おはようございます。
わたしたちは神さまあってのわたしたち、人間は神さまあっての人間です。
箴言16:1 人間は心構えをする。主が舌に答えるべきことを与えてくださる。16:2 人間の道は自分の目に清く見えるが、主はその精神を調べられる。16:3 あなたの業を主にゆだねれば、計らうことは固く立つ。
わたしたちが心を深く構えれば・・・祈りはその最たるものでしょう・・・神さまがわたしたちの口に語るべき言葉をもたらしてくださいます。
わたしたちは自分は正しいとか清いとか思ってしまいがちですが、神さまがしっかりと調べて、教えて、諭してくださいます。
わたしたちの計画も実行も、神さまにお委ねしつつのことであれば、きっとたしかなものになるでしょう。
2023年11月18日 土曜日
おはようございます。
この苦しみや悲しみは、いつまで続くのでしょうか。
イエス・キリストは言われます。
マタイによる福音書5:4 悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。
悲しみは、幸いなことに、慰めに変えられるのです。
ダビデも言います。
詩編28:6 主をたたえよ。嘆き祈るわたしの声を聞いてくださいました。28:7 主はわたしの力、わたしの盾、わたしの心は主に依り頼みます。主の助けを得てわたしの心は喜び躍ります。歌をささげて感謝いたします。
今日たとえ深い嘆きがあったとしても、明日それは賛美の歌に変えられるというのです。
礼拝の賛美は、わたしたちの嘆きを主がよろこびに変えてくださること、そして、変えてくださったことのしるしでもあります。
神さまに喜びの賛美をゆたかに捧げましょう。
主が嘆きを、すばらしいことに、喜びに変えてくださったのですから。
主は嘆きを、かならず、喜びに変えてくださいますから。
2023年11月17日 金曜日
おはようございます。
自分はこんなに弱いので、神さまを信じる資格があるのだろうか、と迷うことがないでしょうか。
しかし、ヘブライ人への手紙は、イエス・キリストが大祭司となって、わたしたちを神さまにとりなしてくださるのだから、どうどうと神さまを信じましょう、と言っています。
ヘブライ人への手紙4:14 さて、わたしたちには、もろもろの天を通過された偉大な大祭司、神の子イエスが与えられているのですから、わたしたちの公に言い表している信仰をしっかり保とうではありませんか。4:15 この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。4:16 だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。
イエス・キリストが大祭司であるということは、キリストは、弱いわたしたちをも神さまに取り次いでくださる、間に立ってくださる、ということです。祭司とはそういう役目です。
そして、キリストは、わたしたちの弱さ、苦しみ、痛みに共感してくださいます。なぜなら、キリストご自身が十字架という最大の苦しみと痛みを受けたからです。
そのようなお方が、わたしたちを神さまに取り次いで、わたしたちが弱さや痛みで苦しんでいることを神さまに伝えてくださるのですから、わたしたちは、自分は弱い、自分には資格がないなどと不安がらずに、大胆に神さまを信じてよいのです。神さまが救ってくださる、その恵みを大胆にいただいてよいのです。
2023年11月16日 木曜日
おはようございます。
わたしたちは、これはもう立ち上がれない、というくらいの苦しみに見舞われることがないでしょうか。
マルコによる福音書10:46 バルティマイという盲人の物乞いが道端に座っていた。10:47 ナザレのイエスだと聞くと、叫んで、「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と言い始めた。10:48 多くの人々が叱りつけて黙らせようとしたが、彼はますます、「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と叫び続けた。10:49 イエスは立ち止まって、「あの男を呼んで来なさい」と言われた。人々は盲人を呼んで言った。「安心しなさい。立ちなさい。お呼びだ。」10:50 盲人は上着を脱ぎ捨て、躍り上がってイエスのところに来た。
けれども、わたしを憐れんでください、と叫び続ければ、イエスさまはこれを聞いてくださり、わたしたちを招き、「安心しなさい、立ちなさい」と呼びかけてくださいます。
そのとき、わたしたちは、重いよろいを脱ぎ捨てて、躍り上がり、イエスさまのもとへと導かれるのです。
2023年11月15日 水曜日
おはようございます。
わたしたちは、どういうお方に、どのように愛されているのでしょうか。
ヨハネによる福音書1:15 ヨハネは、この方について証しをし、声を張り上げて言った。「『わたしの後から来られる方は、わたしより優れている。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。」1:16 わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。
ヨハネはイエス・キリストのことを「わたしより優れている」と言っています。これは一見当たり前のように思われますが、とても大切なことです。
わたしたちは自分を過信しないで、人にはへりくだり、人から学ぶことが大切です。
その原点は、神さま、キリストの前で、この方の大きさと自分の小ささを知ることです。
なぜなら、キリストは、「わたしたちよりも先に」、つまり、世界が創造される前からおられるお方だからです。
わたしたちより圧倒的に大きく、世界が創造される前からおられ、世界を創造なさったこのお方の満ちあふれる愛から、わたしたちは皆、愛の上にさらに愛をいただいているのです。
2023年11月14日 火曜日
おはようございます。
ローマの信徒への手紙12:1神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。12:2 あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。
何かを人に勧めるときは、自分の思いではなく、神さまの愛の御心でそうするのです。
わたしたちの体を「神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げる」、わたしたちの「なすべき礼拝」とはどのようなものでしょうか。
それは、「神の御心」に沿う、「善い」ことです。
12:17に「だれに対しても悪に悪を返さず、すべての人の前で善を行うように心がけなさい」とあり、12:14に「あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい」とありますから、「善い」ことは「復讐」や「敵対」のような「世に倣った」ものや自分の欲望とは正反対のものでしょう。
むしろ、12:10 にあるように「兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思う」ことでしょう。
そのような生き方が、「神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げる」ことであり、わたしたちの「なすべき礼拝」でありましょう。
2023年11月13日 月曜日
おはようございます。
わたしたちの信仰生活や教会生活は、月日とともに変化しますが、それによって、神さまの救いが取り消されることがあるのでしょうか。いや、神さまの救いは永遠です。
ローマの信徒への手紙11:28 福音について言えば、イスラエル人は、あなたがたのために神に敵対していますが、神の選びについて言えば、先祖たちのお陰で神に愛されています。11:29 神の賜物と招きとは取り消されないものなのです。
パウロの時代、律法を守ることによって神さまに救われることにこだわったイスラエル人(ユダヤ人)は、イエス・キリストへの信仰によって救われるという福音から見れば、神さまに敵対しているように見えました。
しかし、それは、パウロによれば、「あなたがたのため」、つまり、ユダヤ人ではない異邦人が、信仰による救いを得るためであったと言います。
乳と蜜の流れる土地、満天の星のように多い子孫、という表現で、イスラエルの祖であるアブラハムを通して約束された民への祝福は、けっして取り消されることがない、とパウロは断言します。
神さまの救い、恵み、そして、お招きは、わたしたちにどんなことがあっても、永遠に有効なのです。
2023年11月12日 主日(日曜日)
おはようございます。
ローマの信徒への手紙14:8 わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです。14:9 キリストが死に、そして生きたのは、死んだ人にも生きている人にも主となられるためです。
わたしたちは、生きている時も、地上の生命を終えた後も、主のために、主によって、主とともに存在し続けます。
キリストは、わたしたちが生きている時も、死んだ後も、わたしたちのいのちのあるじ、導き手となってくださいます。
わたしたちが生きている間に、死にも匹敵するような、何かの意味で自分の何かが死んでしまったような耐えられない苦しみに見舞われても、キリストが、わたしたちのいのちのあるじとして、ともいてくださり、導き、支えてくださいます。
このように、キリストは、わたしたちの生と死において、わたしたちの主でいらしてくださいます。
2023年11月11日 土曜日
おはようございます。
わたしたちは自分ひとりで生きようと力が入りすぎたり、はんたいに、自分はひとりでは生きることができないと不安になったりしますが、パウロはこう言います。
ガラテヤ書2:20 生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです。
わたしたちの中で、本当に生きているのは、キリストなのです。
キリストこそがわたしたちの中で生き、わたしたちを生かしてくださるいのちなのです。
ですから、わたしたちは自分だけで生きてみせると力み過ぎたり、自分だけでは生きられないと悲観したりする必要はないのです。
キリストはわたしたちをこよなく愛し、わたしたちにまことのいのちを与えてくださいました。
このキリストの愛といのちを信頼することで、わたしたちはゆたかに生かされるのです。
2023年11月10日 金曜日
おはようございます。
わたしたちは、苦しい時を、どのように過ごしたらよいのでしょうか。
パウロはこのように言います。
コリントの信徒への手紙二6:4わたしたちは、大いなる忍耐をもって、苦難、欠乏、行き詰まり、6:5 鞭打ち、監禁、暴動、労苦、不眠、飢餓においても、6:6 純真、知識、寛容、親切、聖霊、偽りのない愛、6:7 真理の言葉、神の力によってそうしています。
パウロは、「苦難、欠乏、行き詰まり、 鞭打ち、監禁、暴動、労苦、不眠、飢餓」に見舞われましたが、それを「忍耐」しました。けれども、それは、パウロが忍耐強かった以上に、「神の力」がそうさせてくれたのです。
「聖霊」、神さまの「偽りのない愛」、神さまの「真理の言葉」が、パウロに、「純真」「知識」「寛容」「親切」の心を与えてくださり、苦しみを耐え抜かせてくださったのです。
わたしたちにも、そして、わたしたちが案じている、苦しみの中にある人びとにも、神さまはかならずこの力を与えてくださり、「苦難」「欠乏」「行き詰まり」「労苦」「不眠」を乗り越えさせてくださることでしょう。
2023年11月9日 木曜日
おはようございます。
わたしたちのために、このように祈ってくれている人がいます。
エフェソの信徒への手紙1:17 どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の源である御父が、あなたがたに知恵と啓示との霊を与え、神を深く知ることができるようにし、1:18 心の目を開いてくださるように。そして、神の招きによってどのような希望が与えられているか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか悟らせてくださるように。1:19 また、わたしたち信仰者に対して絶大な働きをなさる神の力が、どれほど大きなものであるか、悟らせてくださるように。
神さまがわたしたちに聖霊を降してくださり、神さまを深く知ることができるように
聖霊がわたしたちの心の目を開いてくださるように
神さまからいただく希望のすばらしさを悟ることができるように
神さまがわたしたちに絶大な働きをしてくださり、その力がいかに大きいか悟ることができるように。
パウロは直接はフィリピの信徒のことでこのように祈ったのですが、神さまは、これをわたしたちのための祈りとしても聞いてくださることでしょう。
2023年11月8日 水曜日
おはようございます。
マタイによる福音書16:25 自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。16:26 人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。
聖書では、「命」という語が、神さまや隣人とのつながりを表す場合があります。
「自分の命を救いたいと思う者は、それを失う」とは、自分のことしか考えない人は、神さまとのつながり、さらには、自分以外の人とのつながりを失ってしまう、ということでしょう。
ぎゃくに、イエス・キリストゆえに、自分のことばかりに執着することを止めた人は、神さまとのつながり、そして、隣人とのつながりを得るのです。
たとえ、世界を支配して世界のすべてを自分のものにしても、自分の私利私欲を達成しても、神さまとのつながり、隣人とのつながりを失ったら、何の意味があるでしょうか。
神さまとのつながり、隣人とのつながりを取り戻すことは、わたしたちにはできません。
けれども、わたしたちにできないことも、神さまにはおできになります。
自分に執着し神と人から離れてしまうというわたしたちの罪から、神さまの独り子イエス・キリストは救い出してくださいました。それが、キリストの十字架と復活です。
これによって、わたしたちは、神さまとのつながり、隣人とのつながりに戻していただいたのです。つまり、命に戻していただいたのです。
2023年11月7日 火曜日
おはようございます。
詩編55:18 夕べも朝も、そして昼も、わたしは悩んで呻く。神はわたしの声を聞いてくださる。55:19 たとえ闘いを挑む者が多くても、わたしの魂を贖い出し、平和に守ってくださる。
戦争が続いていますが、戦地の人びとや世界中の平和を求める叫び声を神さまはかならず聞いてくださいます。そして、かならず、平和をもたらしてくださいます。
戦争以外のことでも、わたしたちには深い悩みがあり、声にならない声で呻いていますが、神さまはこれにも耳を傾けてくださっておられます。
神さまは、苦しむ友や家族の魂とわたしたちの魂を深い淵から引き上げてくださり、かならず平和と平安で満たしてくださいます。
2023年11月6日 月曜日
おはようございます。
マタイによる福音書6:12 わたしたちの負い目を赦してください、わたしたちも自分に負い目のある人を、赦しましたように。
わたしたちは自分に負い目のある人を、赦しているでしょうか。
わたしたちを傷つけ、わたしたちを苦しめ、わたしたちに謝罪や償いをすべき人を、赦しているでしょうか。
これは、なかなかできないことです。
人を赦せない。これは、神さまに対するわたしたちの負い目です。
この負い目を含めて、わたしたちは、「神さま、わたしたちの負い目を赦してください」と祈るのです。
そうすると、神さまは、かならずお赦しくださいます。
そのとき、わたしたちは、こう祈ります。
神さま、あなたはわたしたちの負い目を赦してくださいました。まことにありがとうございます。わたしたちも自分に負い目のある人を赦すことができますように、どうぞ、お導きください。
2023年11月5日 主日(日曜日)
おはようございます。
イエス・キリストは「降りて来なさい」とわたしたちに呼びかけてくださいます。
ルカによる福音書19:5 イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」19:6 ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。
わたしたちは、キリストを上から目線で見降ろしていないでしょうか。敬っているようで、じつは、キリストを良く知っているつもりになったり、自分好みに仕立てたりしていないでしょうか。
キリストはそんなわたしたちに、下に降りて来なさい、わたしはあなたの横にいたい、と言ってくださいます。
キリストにこのように招かれて、ザアカイは、高いところから降りて、へりくだって、キリストをお迎えしました。
わたしたちも、キリストを上から見下ろしてしまっていないか、もう一度、自分を振り返って、むしろ、キリストと自分以外の人を見上げる者になりましょう。
キリストは木に上って見下ろしていたわたしたちをも、尊重の眼差しで「見上げて」(5節)、声をかけてくださったのですから。
2023年11月4日 土曜日
おはようございます。
わたしたちは誰にお仕えするのでしょうか。
ヨシュア記24:15 もし主に仕えたくないというならば、川の向こう側にいたあなたたちの先祖が仕えていた神々でも、あるいは今、あなたたちが住んでいる土地のアモリ人の神々でも、仕えたいと思うものを、今日、自分で選びなさい。ただし、わたしとわたしの家は主に仕えます。
わたしたちは、自分の欲望や財産や地位や人間関係などを最大の頼みとし、それらをあたかも神のようにして仕えるのではなく、まことの神さまにだけお仕えしましょう。
24:17 わたしたちの神、主は、わたしたちとわたしたちの先祖を、奴隷にされていたエジプトの国から導き上り・・・わたしたちの行く先々で、またわたしたちが通って来たすべての民の中で、わたしたちを守ってくださった方です。24:18 ・・・わたしたちも主に仕えます。この方こそ、わたしたちの神です。
振り返れば、神さまは、すでに、わたしたちの人生を導き、わたしたちを守ってきてくださいました。
わたしたちは、この神さまを信頼し、この神さまにお委ねして、この神さまに導かれて歩みましょう。
2023年11月3日 金曜日
おはようございます。
イザヤ書1:18 論じ合おうではないか、と主は言われる。たとえ、お前たちの罪が緋のようでも、雪のように白くなることができる。たとえ、紅のようであっても、羊の毛のようになることができる。
たとえ、わたしたちがどんな罪人であっても、神さまは赦してくださいます。
たとえ、わたしたちがどんなに苦しんでいても、神さまは慰めてくださいます。
たとえ、わたしたちがどんなに弱くても、神さまは強くしてくださいます。
たとえ、わたしたちがどんなに絶望していても、神さまは希望になってくださいます。
たとえ、わたしたちがどんなに孤独でも、神さまはともにいてくださいます。
たとえ、わたしたちがどんなに憎まれても、神さまは愛してくださいます。
たとえ、わたしたちがどんなに不安でも、かみさまは平安にしてくださいます。
2023年11月2日 木曜日
おはようございます。
その人のため、皆のため、という思いをもってなすことも、理解されず、かえって、自分が苦しんでしまうことがないでしょうか。
テモテへの手紙二1:11 この福音のために、わたしは宣教者、使徒、教師に任命されました。1:12そのために、 わたしはこのように苦しみを受けているのですが、それを恥じていません。というのは、わたしは自分が信頼している方を知っており、わたしにゆだねられているものを、その方がかの日まで守ることがおできになると確信しているからです。
パウロはイエス・キリストの福音、善い知らせを人びとに伝える使命感を持っていましたが、それが相手には届かず、苦しむことが、しばしばあったようです。
けれども、苦しみつつも、苦しみに完全に飲み込まれたり押しつぶされたりすることはありませんでした。
なぜなら、イエス・キリストが守り、支えてくださる、と信頼していたからです。
いまはほんとうに苦しいですね。
けれども、キリストがともに苦しんでくださり、かならず、最後まで支えてくださいます。
2023年11月1日 水曜日
おはようございます。
11月になりました。
ヘブライ人への手紙12:28 わたしたちは揺り動かされることのない御国を受けているのですから、感謝しよう。
わたしたちは揺れ動きますが、神さまは揺れ動きません。
ですから、わたしたちは、揺れ動くときも、揺れ動きながらも、揺れ動かない神さまの手をつかみましょう。
わたしたちが揺れ動いても、主は揺れ動きません。
だから、恐れることはないのです。
いや、恐れても良いのです。
何事をも恐れない神さまがともにいてくださいますから。
2023年10月31日 火曜日
おはようございます。
わたしたちの人生には、なかなか解決できない難問があります。
世界も難問を抱えています。
けれども、最後には、すべて、イエス・キリストが解決へと導いてくださいます。
コリントの信徒への手紙一15:57 わたしたちの主イエス・キリストによってわたしたちに勝利を賜る神に、感謝しよう。15:58 わたしの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。
この「勝利」とは、最終的には、死への勝利です。
これは、わたしたちは死なないということではなく、死がすべての終わりではない、死によっても滅ぼされないものがある、ということです。
イエス・キリストによって、わたしたちは死さえも克服することができるのですから、人生や世界の難題もかならず乗り越えることができるでしょう。
ですから、主にしっかり結ばれて、今日も歩み続けましょう。
2023年10月30日 月曜日
おはようございます。
コリントの信徒への手紙二3:18 わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。これは主の霊の働きによることです。
わたしたちは、神さまから愛され、救われているのに、それを自分自身の生き方に表せていないのではないか、と悩むことがないでしょうか。
たしかに、自分の姿を見ると、神さまの愛からは程遠いし、世界全体を見ても、戦争が続き、やはり、神さまの救いが現われていないように思えてしまいます。
わたしたちには、布がかけられていて、神さまの栄光を反射できていないように感じられます。
けれども、その覆(おお)いは、取り除かれる、とパウロは言います。
わたしたちが、神さまの愛をはっきりと映し出し、世界が、神さまの平和をあきらかに現す日が来ると。
わたしたちと世界は、神さまの愛と光を完全に映し出すものへと造りかえられていくと。
聖霊がそのようにしてくださると。
その日が来ますように、わたしたちと世界が神さまの光を反射する日が来ますように、と切に祈ります。
2023年10月29日 主日(日曜日)
おはようございます。
わたしたちは、自分を悪く思いすぎてもならないし、はんたいに、傲慢になってもならないでしょう。
なぜなら、わたしたちは、神さまの霊が住んでくださる神殿だからです。
コリントの信徒への手紙一3:16 あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。
自分をどんなに弱い、つまらない、悪いと思っても、わたしたちは自分を否定しすぎてはなりません。
なぜなら、わたしたちの中には、神さまの善き霊、最善の霊、聖霊が住んでおられるからです。
自分をどんなに優れている、すごい、善良だと思っても、わたしたちは傲慢になってはなりません。
なぜなら、わたしたちを生かし、導いていてくださるのは、わたしたちの中に住まう神さまの霊だからです。
創世記2:7 主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。
神さまがこの命の息を吹き入れてくださるから、わたしたちは、生かされているのです。
2023年10月28日 土曜日
おはようございます。
戦争が終わる日が来るのでしょうか。
わたしたちが人との葛藤に苦しまなくなる日が来るのでしょうか。
神さまはその日をかならず来させてくださいます。
ミカ4:3 主は多くの民の争いを裁き、はるか遠くまでも、強い国々を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない。
そればかりではありません。
すべてのものが新しくされる日が来ます。
戦争も悪も罪も苦しみもない、世界のすべてが新しくされる日が来ます。
使徒言行録3:21 このイエスは、神が聖なる預言者たちの口を通して昔から語られた、万物が新しくなるその時まで、必ず天にとどまることになっています。
この喜びの日を神さまがかならず来たらせてくださいます。
礼拝はその日の先取りです。
礼拝のさんびは、その日を先取りする喜びの歌です。
2023年10月27日 金曜日
おはようございます。
マタイによる福音書7:7 「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。7:8 だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。7:9 あなたがたのだれが、パンを欲しがる自分の子供に、石を与えるだろうか。7:10 魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか。
これは、わたしたちが願うものなら、神さまは何でも与えてくださる、ということではありません。
神さまがわたしたちに与えてくださるものは、パンであり、魚であり、つまり、いのちの糧(かて)なのです。
わたしたちが、いのちの糧を求めれば与えられ、探せば見つかり、いのちの門をたたけば開かれます。
わたしたちが、ともにいてください、と祈れば、神さまはともにいてくださいます。
わたしたちが、愛してください、と祈れば、神さまがすでにわたしたちを愛してくださっておられるのがわかります。
わたしたちが、平和と平安をお与えください、と祈れば、神さまはわたしたちを平和と平安の門の中に入れてくださいます。
今ではなくてもかならずそうしてくださいます。
2023年10月26日 木曜日
おはようございます。
世界には戦争が起こっています。
わたしたちもわたしたちの苦しみを抱えています。
わたしたちはどうしたらよいのでしょうか。
ヨハネによる福音書16:33 これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。
イエス・キリストは、わたしたちが苦難を抱えていることを、知っていてくださいます。
けれども、勇気を出しなさい、と言ってくださいます。
なぜなら、キリストが、世界の戦争やわたしたちの苦しみを乗り越える勇気をくださるからです。
キリストからの勇気、キリストがともにいらしてくださるという勇気があるとき、そこには、平和があります。シャロームがあります。
神さまは、かならず戦争を終わらせてくださいます。
わたしたちの苦しみを平安に変えてくださいます。
そのことを信じて、しずかに、平安に祈り続けましょう。
しずかな祈りの中で、キリストの平安をいただき、キリストの平和に満たされましょう。
祈りと礼拝において、わたしたちは、世界の平和を先取りしていただき、苦しみに勝る平安をいま心にたしかにいただくのです。
2023年10月25日 水曜日
おはようございます。
箴言11:27 善を捜し求める人は主が喜びとすることを尋ね求める人。悪を求める者には悪が訪れる。11:28 富に依存する者は倒れる。神に従う人は木の葉のように茂る。
善、善いことは神さまから出るものですから、善を求める人は、神さまを求める人とも言えるでしょう。
神さまを求める人には、神さまが喜ばれることが訪れるでしょう。さらに言えば、神さまご自身が訪れるでしょう。
悪を求める人には悪が訪れますが、救いを求める人には救いが訪れます。
戦争を求める人には戦争が訪れまが、平和を求める人には平和が訪れます。
神さまではなく、富を自分の最大の頼みにする人は、倒れてしまいます。
富は杖にはならないからです。
わたしたちのまことの杖は神さまにほかなりません。
神さまを杖とし、この杖に導かれて歩く人の人生は、葉を茂らせる大樹のように祝福された人生です。
2023年10月24日 火曜日
おはようございます。
この世界の戦争をご覧になって、日々人と争うわたしたちをご覧になって、イエス・キリストは何と言われるでしょうか。
ルカによる福音書19:41 エルサレムに近づき、都が見えたとき、イエスはその都のために泣いて、19:42 言われた。「もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら……。しかし今は、それがお前には見えない。
キリストは、争う世界とわたしたちを見て、涙を流してくださいます。
わたしたちが平和への道をわきまえていないことに、平和への道を見いだせないでいることに、わたしたちとともに涙を流してくださいます。
それは、キリストが、世界とわたしたちに平和を示そうとしてくださっておられるからにほかなりません。
イエス・キリストご自身が、世界とわたしたちの平和です。シャロームです。
わたしたちが、平和な心で、キリストに平和を祈り求めるとき、わたしたちは平和で満たされます。
世界の皆が、平和な心で、平和を祈り求めるとき、世界は平和で満たされます。
イエス・キリストは平和をもたらしてくださる平和の主であることを信じて、さらに平和に平和を祈り求め続けましょう。
2023年10月23日 月曜日
おはようございます。
わたしたちひとりひとりと世界が今抱えている苦しみはいつまで続くのでしょうか。どうなるのでしょうか。
マタイ24:7 民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉や地震が起こる。24:8 しかし、これらはすべて産みの苦しみの始まりである。
イエス・キリストは、この苦しみはやがて終わり、新しい何かが生まれる、と教えてくださいます。
24:13 しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
イエス・キリストは、わたしたちが、この苦しみを最後まで耐え忍ぶことができるように、しっかりと支え続けてくださいます。
24:14 そして、御国のこの福音はあらゆる民への証しとして、全世界に宣べ伝えられる。それから、終わりが来る。
神さまの国、神さまの愛と平和が世界中に、そして、わたしたちの心の隅から隅まで、満ちあふれる日がかならずやってきます。それが神さまの救いの完成の日なのです。
これを信じて、感謝して、その日が一日も早く来ますようにと、切に祈り続けましょう。
その日は、かならずやってきます。
2023年10月22日 主日(日曜日)
おはようございます。
エレミヤ書32:38 彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。
神さまの民となるのはどんな人たちなのでしょうか。
32:40 わたしは、彼らと永遠の契約を結び、彼らの子孫に恵みを与えてやまない。またわたしに従う心を彼らに与え、わたしから離れることのないようにする。
それはいちど神さまから離れた人たちでした。その人たちと神さまは、永遠に離れないという約束をし、子孫に恵みを与え続け、神さまに従う心を与えてくださるのです。
32:42 まことに、主はこう言われる。かつて、この民にこの大きな災いをくだしたが、今や、彼らに約束したとおり、あらゆる恵みを与える。
あるいは、それは大きな苦しみを経験した人たちでした。その人たちに神さまは、今や、災いではなく、恵みを与えてくださるのです。
うれしいことに、わたしたちも、この人たちのひとりです。
わたしたちは神さまの民としていただき、神さまはわたしたちの神さまとなってくださいます。
わたしたちは神さまの国の民としていただくのです。
神さまは約束してくださいました。
いますでに、わたしたちは神さまの民であり、神さまはわたしたちの神さまです。
2023年10月21日 土曜日
おはようございます。
わたしたちは、困難な問題にぶつかったとき、これをしよう、あれをしようと、心が落ち着きません。けれども、神さまは、こう言われます。
イザヤ書30:15 まことに、イスラエルの聖なる方、わが主なる神は、こう言われた。「お前たちは、立ち帰って、静かにしているならば救われる。安らかに信頼していることにこそ力がある」と。
「立ち帰る」とは、神さまに立ち帰ることです。
「静かにしている」とは、神さまの静けさに身を委ねることです。
手を合わせ、目を閉じ、「神さま」「助けてください」「わたしを静まらせてください」と祈り、あとは、何も言葉を発せず、何も言葉を考えず、沈黙し、静かにし、そこに神さまの平安を感じ、じっと、その静かな平安に身を委ねることです。
沈黙の祈りの中に生まれる神さまの静かな平安を信頼することです。
そうすれば、救われる、そうすれば、平安とともに力が静かにみなぎってくる、と神さまは教えてくださいます。
2023年10月20日 金曜日
おはようございます。
心に重たい荷物を背負っておられませんか。
神さまがともに負ってくださいます。
詩編55:23 あなたの重荷を主にゆだねよ、主はあなたを支えてくださる。主は従う者を支え、とこしえに動揺しないように計らってくださる。
重たいものをひとりで負っているときは、つぶれそうになったり、やめてしまいたくなったりしますが、ふたりで負っているときは、相手のことを思い、なんとか持ちこたえようとします。
マタイ11:28 疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。
イエスさまが休ませてくださいます。
少し休んだら、また、イエスさまといっしょに歩きましょう。
イエスさまがいっしょですから、きっと、また歩けます。
2023年10月19日 木曜日
おはようございます。
わたしたちは、目に見えるもの、確かな証拠を得て、安心しようとします。
けれども、信仰は、目に見えるもの、確かな証拠なしに、神さまと人生を信頼することです。
試験に合格していると前もって知らされていて得られる安心は、目に見える証拠による安心です。
合格しているかどうか結果はまだ目に見えていなけれども、目に見える証拠はないけれども、神さまが何とかしてくださるから大丈夫と、心の深いところに平安を得ているのが、信仰です。
ローマの信徒への手紙8:24 わたしたちは、このような希望によって救われているのです。見えるものに対する希望は希望ではありません。現に見ているものをだれがなお望むでしょうか。8:25 わたしたちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです。
信仰は、聖書に記されている神さまの言葉、御言葉を信頼することであり、言葉がとても大切ですが、同時に、言葉で言い表されないものも大切です。
8:26 同様に、“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。
わたしたちは苦しみの中で、祈りの言葉さえ見つからないことがありますが、じつは、聖霊は、言葉になっていないうめきによって、わたしたちの苦しみを神さまに伝えてくださる、と言うのです。
苦しみだけでなく、愛も言葉で言い表せませんが、とても大切なものです。
わたしたちの信仰は、目に見えるもの、言い表せる言葉だけでなく、目に見えないもの、言葉にできないものも、また、大切にします。
2023年10月18日 水曜日
おはようございます。
フィリピ4:26 怒ることがあっても、罪を犯してはなりません。4:27 悪魔にすきを与えてはなりません。
わたしたちが怒るとき、悪魔はそこにすきを見つけて、忍び込んできます。
4:29 悪い言葉を一切口にしてはなりません。ただ、聞く人に恵みが与えられるように、その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語りなさい。4:30 神の聖霊を悲しませてはいけません。
怒りに任せた悪い言葉を口にするとき、聖霊は悲しまれます。人を壊す言葉ではなく、むしろ、その人を支え、生かす言葉を心がけましょう。聖霊は喜ばれます。
4:31 無慈悲、憤り、怒り、わめき、そしりなどすべてを、一切の悪意と一緒に捨てなさい。4:32 互いに親切にし、憐れみの心で接し、神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように、赦し合いなさい。
神さまがイエス・キリストによって、わたしたちを赦してくださいました。それに感謝して、わたしたちもたがいに赦しあいましょう。
そのために、冷たい心、憤り、怒り、ののしりを、悪意もろとも捨てましょう。敬意、共感、いたわりを大事にしましょう。