私たちは聖書を信じるプロテスタントの教会です。          【教会目標】 キリストの愛が満ち 福音宣教に生きる教会

牧師室より3

牧師室より3

※過去のものは右サイドのメニューバーの下の方の「牧師室より1、2」をご覧ください。

2024年5月20日 月曜日

おはようございます。

神さまはわたしたちの祈りを聞いてくださるでしょうか。

詩編102:1 【祈り。心挫けて、主の御前に思いを注ぎ出す貧しい人の詩。】
102:2 主よ、わたしの祈りを聞いてください。この叫びがあなたに届きますように。
102:3 苦難がわたしを襲う日に/御顔を隠すことなく、御耳を向け/あなたを呼ぶとき、急いで答えてください。

心がもう折れようとするとき、自分自身が消え入りそうなとき、しかし、わたしたちは主の前で、祈りを注ぎだします。

神さま、わたしの祈りを、友の祈りを聞いてください。
この叫びがあなたに届きますように。
わたしは苦しんでいます。
友が苦しんでいます。
神さま、どうぞ、耳を傾けてください。
いま、お答えください。

102:18 主はすべてを喪失した者の祈りを顧み/その祈りを侮られませんでした。

神さまは、すべてを失いそうで、ただ神さまに委ねるしかないわたしたちの祈りを顧みてくださいます。わたしたちの祈りを大切にしてくださいます。

56:9 あなたはわたしの嘆きを数えられたはずです。あなたの記録に/それが載っているではありませんか。あなたの革袋にわたしの涙を蓄えてください。

神さまはわたしたちの嘆きを愛しんでくださいます。

わたしたちの涙を大切に大切に、革袋に蓄えてくださいます。

2024年5月19日 主日(日曜日)

おはようございます。

神さまはわたしたちと世を光で照らしてくださいます。

イザヤ58:9 軛を負わすこと、指をさすこと/呪いの言葉をはくことを/あなたの中から取り去るなら 58:10 飢えている人に心を配り/苦しめられている人の願いを満たすなら/あなたの光は、闇の中に輝き出で/あなたを包む闇は、真昼のようになる。

けれども、わたしたちが人に重荷を負わせたり指を指したり呪いの言葉をはいたりすれは、それが神さまの光をさえぎってしまいます。わたしたちが飢えている人、苦しめられている人に心を配らないのなら、神さまの光はさえぎられ闇になってしまいます。

はんたいに、わたしたちが家族や周りの人や自分以外の人びとに心を向けるならば、神さまの光は闇の中に輝きます。

58:11 主は常にあなたを導き/焼けつく地であなたの渇きをいやし/骨に力を与えてくださる。あなたは潤された園、水の涸れない泉となる。

神さまは、光となってわたしたちを導いてくださり、涸れることのない泉となって、わたしたちを潤し続けてくださいます。

2024年5月18日 土曜日

おはようございます。

賛美の歌は誰に向かって歌うのでしょうか。

詩編96:1 新しい歌を主に向かって歌え。全地よ、主に向かって歌え。
96:2 主に向かって歌い、御名をたたえよ。日から日へ、御救いの良い知らせを告げよ。
96:3 国々に主の栄光を語り伝えよ/諸国の民にその驚くべき御業を。

神さまのなさることは、わたしたちの思いを超えた、まったくあたらしいものです。
それを受けて、わたしたちも、まったくあたらしくされます。
「福音」はGood(福)News(音ずれ、知らせ)です。
知らせはNews あたらしいことなのです。
その感謝と喜びを、神さまに向かって歌います。

どうじに、つぎの時代に向けて歌います。
人びとに向けて、世界に向けて歌います。
まったくあたらしい、神さまの恵みを、語り伝えるのです。
主こそがわたしたちの王です、と
時間と空間を超えて、歌声を伝えるのです。

2024年5月17日 金曜日

おはようございます。

神さまに打ち砕かれるとは、悪いことをして罰を受けることとは意味が違います。

イザヤ書57:15 高く、あがめられて、永遠にいまし/その名を聖と唱えられる方がこう言われる。わたしは、高く、聖なる所に住み/打ち砕かれて、へりくだる霊の人と共にあり/へりくだる霊の人に命を得させ/打ち砕かれた心の人に命を得させる。

神さまの崇高と永遠と聖によって、わたしたちの小ささと限界と罪があきらかにされることです。わたしたちは、自分が崇高で永遠で聖であると心のどこかで思っているなら、神さまを賛美することも人に仕えることもできず、救われることもないのです。

けれども、神さまがわたしたちを打ち砕いてくださいます。ここからわたしたちの救いが始まります。信仰者のライフ(生活、人生、生命)が始まります。

57:16 わたしは、とこしえに責めるものではない。永遠に怒りを燃やすものでもない。霊がわたしの前で弱り果てることがないように/わたしの造った命ある者が。

神さまはわたしたちを打ち砕いたままにしておかれません。そこから、立ち上がらせ、創り上げてくださいます。これが聖化です。


2024年5月16日 木曜日

おはようございます。

神さまを賛美するとはどういうことでしょうか。

詩編95:1 主に向かって喜び歌おう。救いの岩に向かって喜びの叫びをあげよう。
95:2 御前に進み、感謝をささげ/楽の音に合わせて喜びの叫びをあげよう。
95:3 主は大いなる神/すべての神を超えて大いなる王。
95:4 深い地の底も御手の内にあり/山々の頂も主のもの。

神さまはわたしたちを救ってくださいました。
神さまはいつでもわたしたちの救いです。
賛美はこれに導いていただく歓喜の歌です。

何か特別なことがあるように思えなくても
神さまがここにおられ
わたしがここにいる
賛美はこのことへの心からの感謝です。

神さまはわたしたちをはるかに超えるお方であり
わたしたちを治めてくださる大いなる王です。
賛美はこの神さまの前でわたしたちが小さくなり
神さまの大きさがあきらかにされることです。

地の底も山々の頂も神さまのものです。
賛美は世界が神さまに創造されたことをたたえ
被造物がともに創造者である神さまをほめ歌います。
賛美は栄光をわたしたちから神さまにお返しします。

2024年5月15日 水曜日

おはようございます。

神さまは、異邦人、つまり、神さまから遠いと思われていた人びと、わたしたちをも受け入れてくださいます。

イザヤ書56:6 主のもとに集って来た異邦人が/主に仕え、主の名を愛し、その僕となり/安息日を守り、それを汚すことなく/わたしの契約を固く守るなら
56:7 わたしは彼らを聖なるわたしの山に導き/わたしの祈りの家の喜びの祝いに/連なることを許す。彼らが焼き尽くす献げ物といけにえをささげるなら/わたしの祭壇で、わたしはそれを受け入れる。わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる。

神さまにお仕えし、神さまのお名前を愛し、神さまの僕となり、神さまを礼拝し、イエス・キリストの救いの約束につながるなら、神さまは、わたしたち異邦人をも、祈りに受け入れてくださいます。

イエス・キリストの教会では、すべての人が神さまに祈ることが許されているのです。


2024年5月14日 火曜日

おはようございます。

詩編94:1 主よ、報復の神として/報復の神として顕現し 94:2 全地の裁き手として立ち上がり/誇る者を罰してください。

イエス・キリストは「悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい」(マタイ5:39)と言われました。これは報復を禁じておられるのでしょう。

けれども、自分を「誇る者」、驕る者である、わたしたちは、神さまに打ち砕かれなければなりません。神さまの絶対的な大きさと力と愛の前で、自分の小ささと弱さと愛のなさを謙虚に告白し、悔い改めなければなりません。

94:4 彼らは驕った言葉を吐き続け/悪を行う者は皆、傲慢に語ります。
94:5 主よ、彼らはあなたの民を砕き/あなたの嗣業を苦しめています。
94:6 やもめや寄留の民を殺し/みなしごを虐殺します。
94:7 そして、彼らは言います/「主は見ていない。ヤコブの神は気づくことがない」と。
94:8 民の愚かな者よ、気づくがよい。無知な者よ、いつになったら目覚めるのか。
94:9 耳を植えた方に聞こえないとでもいうのか。目を造った方に見えないとでもいうのか。

わたしたちは驕った言葉を吐き続けています。
わたしたちは人を苦しめています。
神さまはそれをすべてご存じです。

そのおかげで、わたしたちは、罪を告白し、悔い改め、赦されるのです。

主よ、あなたにすべてをお委ねする勇気をお与えください。


2024年5月13日 月曜日

おはようございます。

異邦人とは誰のことでしょうか。わたしたちは異邦人、神を知らない民ではないのでしょうか。

イザヤ書56:1 主はこう言われる。正義を守り、恵みの業を行え。わたしの救いが実現し/わたしの恵みの業が現れるのは間近い。56:2 いかに幸いなことか、このように行う人/それを固く守る人の子は。安息日を守り、それを汚すことのない人/悪事に手をつけないように自戒する人は。

神さまの救いと恵みの日は間近い、だからこそ、週に一度、神さまの前に出て、自分の深い罪を告白し、神さまの深い赦しを心から感謝する生活へと、すべての人が招かれています。

56:3 主のもとに集って来た異邦人は言うな/主は御自分の民とわたしを区別される、と。宦官も、言うな/見よ、わたしは枯れ木にすぎない、と。

そのとき、神さまは、異邦人も宦官も、お救いくださいます。安息の日に入ろうとする人は、誰でも迎えてくださるのです。

自分は神さまに愛される価値がないと悩む人も、あの人は神さまにふさわしくないと斥けられる人も、神さまは、すべて、安息の喜び、礼拝の喜びに迎え入れてくださいます。

2024年5月12日 主日(日曜日)

おはようございます。

まことの王、わたしたちをまことに治めてくださる方は、人間の王でも為政者でもなく、神さまです。

詩編93:1 主こそ王。威厳を衣とし/力を衣とし、身に帯びられる。世界は固く据えられ、決して揺らぐことはない。
93:2 御座はいにしえより固く据えられ/あなたはとこしえの昔からいます。

神さまこそが、この世界を創ってくださったお方です。神さまこそがわたしたちの毎日と人生を、しっかりと支えていてくださいます。

わたしたちの根本の頼みは、神さましかおられません。

わたしたちは、ときに、それを忘れてしまい、神さま以外のものにすがりつこうとしてしまいます。

その時、イエス・キリストは言われます。

悔い改めなさい、神さまの国は近づいた」と。

わたしたちはむなしいものに頼ろうとするのやめて、神さまを信頼するのです。

神さまこそが、いまここに、世界とわたしを治めていてくださいます。


2024年5月11日 土曜日

おはようございます。

神さまの恵みはどのようにしたらいただくことができるのでしょうか。

イザヤ書55:1 渇きを覚えている者は皆、水のところに来るがよい。銀を持たない者も来るがよい。穀物を求めて、食べよ。来て、銀を払うことなく穀物を求め/価を払うことなく、ぶどう酒と乳を得よ。

神さまは、わたしたちに何の交換条件もお求めになりりません。神さまから「穀物」をいただくのに「銀貨」を払う必要はありません。神さまは「ぶどう酒と乳」をわたしたちにくださいますが、代「価」をお求めになりません。

神さまは無償でわたしたちを愛し、そばにいてくださるのです。

55:2 なぜ、糧にならぬもののために銀を量って払い/飢えを満たさぬもののために労するのか。わたしに聞き従えば/良いものを食べることができる。あなたたちの魂はその豊かさを楽しむであろう。

わたしたちは、周りの人びとからの称賛や承認を得るために、必死に「ほめられるようなこと」をしようとします。

けれども、そんな必要ありません。

ただ、神さまの御言葉に耳を傾ければ、交換条件なしに、無償で、神さまから「良いもの」を豊かにいただけるのです。

2024年5月10日 金曜日

おはようございます。

この世は、苦しいこと、悲しいことばかりなのでしょうか。

いいえ。そんなことはありません。

詩編92:8 神に逆らう者が野の草のように茂り/悪を行う者が皆、花を咲かせるように見えても/永遠に滅ぼされてしまいます。

神さまは、やがて、かならず、この世とわたしたちの苦しみ、悲しみの原因を滅ぼしてくださいます。

神さまは、わたしたちの悲しみを知っていてくださいます。

56:9 あなたはわたしの嘆きを数えられたはずです。あなたの記録に/それが載っているではありませんか。あなたの革袋にわたしの涙を蓄えてください。

神さまは革袋に蓄えるくらいに、わたしたちの涙を大切にしてくださいます。

神さまは、悲嘆にくれるわたしたちをそれほど大事にしてくださり、やがて、そこから救い出してくださいます。

それがすでにわたしたちの救いなのです。


2024年5月9日 木曜日

おはようございます。

たとえ、大きな苦しみがあり、神さまから見捨てられたように思えることがあっても、そうではありません。神さまは、けっしてあなたを見捨てません。

イザヤ書54:6 捨てられて、苦悩する妻を呼ぶように/主はあなたを呼ばれる。若いときの妻を見放せようかと/あなたの神は言われる。
54:7 わずかの間、わたしはあなたを捨てたが/深い憐れみをもってわたしはあなたを引き寄せる。

神さまはわたしをお見捨てになったのではないか、とわたしたちが苦悩するとき、神さまはわたしたちを呼んでくださいます。わたしはあなたをけっして見捨てないよ、と呼びかけてくださいます。

わたしたちは神様から見捨てられたように思ってしまうほど苦しい時期もありますが、それは永久ではなく、神さまは深い憐れみをもってわたしたちを引き寄せてくださいます。

54:10 山が移り、丘が揺らぐこともあろう。しかし、わたしの慈しみはあなたから移らず/わたしの結ぶ平和の契約が揺らぐことはないと/あなたを憐れむ主は言われる。

大地が揺れ、山が崩れるような出来事もわたしたちの人生には起こりますが、神さまの慈しみはわたしたちから離れることはなく、神さまのシャロームと憐みは揺らぐことなく、ここにあります。

2024年5月8日 水曜日

おはようございます。

神さまはたしかにわたしたちをお守りくださいますが、それはどういうことでしょうか。

詩編91:9 あなたは主を避けどころとし/いと高き神を宿るところとした。
91:10 あなたには災難もふりかかることがなく/天幕には疫病も触れることがない。
91:11 主はあなたのために、御使いに命じて/あなたの道のどこにおいても守らせてくださる。
91:12 彼らはあなたをその手にのせて運び/足が石に当たらないように守る。

神さまはたしかにわたしたちの避けどころ、宿となってくださいます。

しかし、それは、かならずしも、わたしたちが災難や疫病にぜったいに見舞われない、ということではありません。

高いところから飛び降りても天使が飛んできて地面にたたきつけられないようにしてくださるわけでもありません。

それでも、神さまはわたしたちをお守りくださいます。

91:15 彼がわたしを呼び求めるとき、彼に答え/苦難の襲うとき、彼と共にいて助け/彼に名誉を与えよう。

苦難の中からわたしたちが叫び求めるとき、神さまはそれを聴いてくださり、わたしたちとともにいてくださり、それこそがわたしたちの誉(ほまれ)なのです。

2024年5月7日 火曜日

おはようございます。

十字架刑に処せられた人がじつは救い主でした。

聖書とキリスト教はこの驚きと恵みを土台としています。

イザヤ書53:2 乾いた地に埋もれた根から生え出た若枝のように/この人は主の前に育った。見るべき面影はなく/輝かしい風格も、好ましい容姿もない。
53:3 彼は軽蔑され、人々に見捨てられ/多くの痛みを負い、病を知っている。彼はわたしたちに顔を隠し/わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。

やせた土地の植物のように、この人には、みずみずしさもうるわしさもありません。
この人は、軽蔑され、見捨てられ、幾重もの痛みと病に苦しんでいます。

53:4 彼が担ったのはわたしたちの病/彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに/わたしたちは思っていた/神の手にかかり、打たれたから/彼は苦しんでいるのだ、と。

けれども、この人が苦しんでいるのはこの人のせいではなく、むしろ、この人は、わたしたちの病と痛みを背負って苦しんでいるのです。それなのに、この人は神さまに罰を受けて苦しんでいるのだ、とわたしたちは思ってしまっていました。

53:5 彼が刺し貫かれたのは/わたしたちの背きのためであり/彼が打ち砕かれたのは/わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって/わたしたちに平和が与えられ/彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。

この人が刺し貫かれ、打ち砕かれたのは、わたしたちの背きと咎のゆえでした。

自分の背きと咎を、深く深く、もっと深く見つめるとき、そして、この深い深いものをこの人が負ってくださったことを、悲しみと喜びの涙とともに、心に深く深く刻み込まれるとき、わたしたちは、まことの平和とまことの癒しを深く深く受け取るのです。

2024年5月6日 月曜日

おはようございます。

人生の嵐の日、わたしたちはどこに避難しますか。

詩編91:1 いと高き神のもとに身を寄せて隠れ/全能の神の陰に宿る人よ
91:2 主に申し上げよ/「わたしの避けどころ、砦/わたしの神、依り頼む方」と。

「いと高き神」「全能の神」こそがわたしたちの隠れ家、シェルター、砦、避難所です。主こそが御言葉と聖霊の臨在によってわたしたちを守ってくださいます。

91:3 神はあなたを救い出してくださる/仕掛けられた罠から、陥れる言葉から。
91:4 神は羽をもってあなたを覆い/翼の下にかばってくださる。神のまことは大盾、小盾。
91:5 夜、脅かすものをも/昼、飛んで来る矢をも、恐れることはない。

たとえどんなに深い穴に落ちてしまっても、神さまが引き上げてくださいます。幾千本の矢が飛んで来ようとも、わたしたちを守ることにどこまでも誠実な神さまが盾になってくださいます。


2024年5月5日 主日(日曜日)

おはようございます。

受難節に歌われる「栄えの主イエスの十字架をあおげば」はもっとも美しい讃美歌のひとつに数えられています。

その一節に「恵みと悲しみ ひとつにとけあい」とあります。「恵みと悲しみ」は一見たがいに相(あい)反(はん)するものですが、それが「ひとつにとけあう」とはどういうことでしょうか。

イザヤ書52:13 見よ、わたしの僕は栄える。はるかに高く上げられ、あがめられる。52:14 かつて多くの人をおののかせたあなたの姿のように/彼の姿は損なわれ、人とは見えず/もはや人の子の面影はない。

ここに出てくる「僕」(しもべ)は、「栄える」とも言われながら、「姿は損なわれる」「人の子の面影はない」とも言われています。

これはどういうことでしょうか。

イザヤのこの言葉より何百年かのち、イエス・キリストは十字架につけられました。

マルコによる福音書15:33 昼の十二時になると、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。15:34 三時にイエスは大声で叫ばれた。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。

マルコ15:37 しかし、イエスは大声を出して息を引き取られた。15:38 すると、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた。15:39 百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた。そして、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、「本当に、この人は神の子だった」と言った。

神さまに見捨てられたと叫ぶほどにイエス・キリストは苦しんで息を引き取られましたが、百人隊長はこれを見て「本当に、この人は神の子だった」と告白する信仰にいたりました。

恵みと悲しみ、栄えと苦しみ、十字架と神の子。

聖書が伝える神さまの救いは、この矛盾、この逆説にあります。

パウロはかつては十字架につけられて死んだイエスを呪いましたが、復活されたキリストがこのパウロを救いました。

そして、「わたしは弱いときにこそ強い」(第二コリント12:10)と証しします。


2024年5月4日 土曜日

おはようございます。

わたしたちは、ときに人生はむなしい、という思いにさいなまれます。

詩編90:9 わたしたちの生涯は御怒りに消え去り/人生はため息のように消えうせます。
90:10 人生の年月は七十年程のものです。健やかな人が八十年を数えても/得るところは労苦と災いにすぎません。瞬く間に時は過ぎ、わたしたちは飛び去ります。

神さまに見捨てられた、神さまは何もしてくれない、とさえ、心のどこかで思ってしまうかもしれません。

90:13 主よ、帰って来てください。いつまで捨てておかれるのですか。あなたの僕(しもべ)らを力づけてください。

それでも、じつは、神さまはわたしたちのこのような思いにはるかにまさるお方であることを、神さまご自身がお示しくださり、わたしたちはそれを知っています。

90:1 【祈り。神の人モーセの詩。】主よ、あなたは代々にわたしたちの宿るところ。
90:2 山々が生まれる前から/大地が、人の世が、生み出される前から/世々とこしえに、あなたは神。

わたしたちの地上の人生の年月は限られていますが、わたしたちが神さまのもとにいる時間は「代々」、永遠です。神さまはわたしたちが地上を歩むときも、天に帰ったあとも、いつも、いつまでも、わたしたちの宿となってくださいます。

物質の世界ができる前から、それがある間も、それが終わってからのちも、神さまは永遠にわたしたちとともにいらしてくださいます。

わたしたちは、この永遠なる神さまとつながっているから、地上の人生をむなしいと嘆く必要はありません。この永遠なる神さまは、わたしたちがむなしいと思う地上の生活をも、実りあるゆたかなものへと祝福してくださいます。



2024年5月3日 金曜日

おはようございます。

イザヤ書52:7 いかに美しいことか/山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。彼は平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え/救いを告げ/あなたの神は王となられた、と/シオンに向かって呼ばわる。

今からおよそ2500年前、イスラエルの民は、バビロン捕囚から解放され、ユダの地に帰還することができました。そのことは、もはや、異国の王に支配されることはない、神さまこそがまことの王さまである、ことを意味しました。この良い知らせを告げるために山々を行き巡る者の足は美しいとイザヤは称えます。

その500年後、イエス・キリストが登場しました。

マルコによる福音書1:14 ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、1:15 「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。

ルカによる福音書4:18 「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、/主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、/捕らわれている人に解放を、/目の見えない人に視力の回復を告げ、/圧迫されている人を自由にし、4:19 主の恵みの年を告げるためである。」

「神の国は近づいた」とは、まさに、「神さまこそがまことの王である」という良き知らせにほかなりません。バビロン捕囚からの解放のメッセンジャーとともに、イエス・キリストも、捕らわれ人の解放、神さまの恵みを告げ知らせたのでした。

けれども、イエス・キリストは、これを、世界中の人びとに、そして、あらゆる時代の人びとに、わたしたちひとりひとりに、決定的な知らせとして、今日も伝えてくださるのです。

2024年5月2日 木曜日

おはようございます。

神さまの慈しみは、わたしたち人間の思いをはるかに超えるものです。

詩編86:13 あなたの慈しみはわたしを超えて大きく、深い陰府から、わたしの魂を救い出してくださいます。

たとえ、わたしたちとその心が深い闇の中にあっても、神さまはその慈しみによって、わたしたちの魂をそこから救い出してくださいます。

86:14 神よ、傲慢な者がわたしに逆らって立ち/暴虐な者の一党がわたしの命を求めています。彼らはあなたを自分たちの前に置いていません。

たとえ、人びとが群れとなって、わたしたちを責めたり攻めたりすることがあっても、たとえ、難問難題がつぎからつぎへとわたしたちに襲い掛かってくることがあっても、神さまの慈しみはそれらにはるかにまさります。

86:15 主よ、あなたは情け深い神、憐れみに富み、忍耐強く、慈しみとまことに満ちておられる。

神さまの、憐れみ深い御心、わたしたちへの慈しみ、わたしたちをけっして見捨てない誠実さは、わたしたちを苦しめるあらゆるものに、はるかにまさるのです。

たとえどんなに苦しいことがあっても、主の慈しみはそれにはるかにまさります。

2024年5月1日 水曜日

おはようございます。

わたしたちはいろいろなことを恐れますが、ほんとうは、神さまがおられるのですから、恐れることはないのです。

イザヤ書51:12 わたし、わたしこそ神、あなたたちを慰めるもの。なぜ、あなたは恐れるのか/死ぬべき人、草にも等しい人の子を。

わたしたちは、力のある人、怖い人、人の仕打ちを恐れますが、この人たちもわたしたちと同じ、やがては死にゆく人間です。

けれども、神さまは永遠なるお方です。その神さまがわたしたちを慰めてくださいます。だから、人を恐れる必要はないのです。

51:13 なぜ、あなたは自分の造り主を忘れ/天を広げ、地の基を据えられた主を忘れ/滅びに向かう者のように/苦痛を与える者の怒りを/常に恐れてやまないのか。苦痛を与える者の怒りはどこにあるのか。

天と地、空と陸を創られた神さまがわたしたちとともにいらしてくださるのですから、わたしたちに苦痛をもたらす人々を恐れることはないのです。

天地の創造主がわたしたちとともにいらしてくださいますから、わたしたちはどんなことも恐れなくてもよいのです。

2024年4月30日 火曜日

おはようございます。

詩編86:1 【祈り。ダビデの詩。】主よ、わたしに耳を傾け、答えてください。わたしは貧しく、身を屈めています。

主はあなたに耳を傾け、あなたに答えてくださいます。

86:2 わたしの魂をお守りください/わたしはあなたの慈しみに生きる者。あなたの僕をお救いください/あなたはわたしの神/わたしはあなたに依り頼む者。

主はあなたの魂を守り、あなたを慈しみ、あなたをお救いくださいます。

86:3 主よ、憐れんでください/絶えることなくあなたを呼ぶわたしを。

主はあなたを憐れんでくださいます。

86:4 あなたの僕の魂に喜びをお与えください。わたしの魂が慕うのは/主よ、あなたなのです。

主はあなたの魂に喜びをお与えくださいます。

86:5 主よ、あなたは恵み深く、お赦しになる方。あなたを呼ぶ者に/豊かな慈しみをお与えになります。

主は、恵み深く、あなたをお赦しくださり、あなたを慈しんでくださいます。

86:6 主よ、わたしの祈りをお聞きください。嘆き祈るわたしの声に耳を向けてください。

主は、あなたの嘆きと祈りを聞いてくださいます。

86:7 苦難の襲うときわたしが呼び求めれば/あなたは必ず答えてくださるでしょう。

主は、あなたが苦難の中から呼び求めれば、かならず答えてくださいます。

2024年4月29日 月曜日

おはようございます。

世界にどんなことが起ころうとも、人が何と言おうとも、神さまがともにおられます。

イザヤ書51:6 天に向かって目を上げ/下に広がる地を見渡せ。天が煙のように消え、地が衣のように朽ち/地に住む者もまた、ぶよのように死に果てても/わたしの救いはとこしえに続き/わたしの恵みの業が絶えることはない。

大空や大地が消え去ることがあっても、神さまの救いと恵みは、わたしたちにとこしえに続きます。

51:7 わたしに聞け/正しさを知り、わたしの教えを心におく民よ。人に嘲られることを恐れるな。ののしられてもおののくな。51:8 彼らはしみに食われる衣/虫に食い尽くされる羊毛にすぎない。わたしの恵みの業はとこしえに続き/わたしの救いは代々に永らえる。

人がわたしたちを嘲ろうとも、ののしろうとも、神さまの恵みと救いはいつまでも永らえます。

あなたの人生にどんなに大きなことが起こっても、どんなに苦しいことが押し寄せても、神さまがあなたとともにおられ、あなたを守りぬいてくださいます。

2024年4月28日 主日(日曜日)

おはようございます。

戦争はいつまで続くのでしょうか。不正はいつまではびこるのでしょうか。

詩編85:9 わたしは神が宣言なさるのを聞きます。主は平和を宣言されます/御自分の民に、主の慈しみに生きる人々に/彼らが愚かなふるまいに戻らないように。85:10 主を畏れる人に救いは近く/栄光はわたしたちの地にとどまるでしょう。

人間は戦争をしますが、神さまは平和を宣言なさいます。

戦争は愚かなふるまいです。

わたしたちは、争いではなく、暴力でもなく、主の慈しみに生きなくてはならないのです。

平和をもたらしてくださる神さまを畏れる者の近くに神さまはおられます。

わたしたちが平和の主を畏怖するならば、神さまはわたしたちとともにいてくださいます。

85:11 慈しみとまことは出会い/正義と平和は口づけし
85:12 まことは地から萌えいで/正義は天から注がれます。
85:13 主は必ず良いものをお与えになり/わたしたちの地は実りをもたらします。
85:14 正義は御前を行き/主の進まれる道を備えます。

神さまの慈しみとまことに根差して、人間の地上の正義と平和は実現します。

神さまはかならずこの地に平和と正義をもたらしてくださいます。

争いは終わり、人が人を虐げることがなくなります。

その地を神さまは進んでくださいます。

2024年4月27日 土曜日

おはようございます。

わたしたちが、たとえ倒れてしまっても、神さまがかならず起き上がらせてくださいます。

イザヤ51:3 主はシオンを慰め/そのすべての廃虚を慰め/荒れ野をエデンの園とし/荒れ地を主の園とされる。そこには喜びと楽しみ、感謝の歌声が響く。

今から2500年前、ユダの国はバビロニア帝国に滅ぼされ、エルサレムの都は廃墟とされ、人びとはバビロンに連れて行かれ、そこで捕囚とされました。

けれども、神さまは、やがて、人びとをエルサレムに連れ戻し、町と神殿を再興してくださいました。

それと同じように、神さまは傷ついたわたしたちの心身を慰めてくださり、わたしたちの人生を荒れ地から主の園へと建て直してくださいます。

そこには、喜びと平安、神さまへの賛美の歌声が満ち溢れます。


2024年4月26日 金曜日

おはようございます。

詩編84:6 いかに幸いなことでしょう/あなたによって勇気を出し/心に広い道を見ている人は。84:7 嘆きの谷を通るときも、そこを泉とするでしょう。雨も降り、祝福で覆ってくれるでしょう。

わたしたちは、ここにある幸いを見いだせず、自ら不幸に陥っていないでしょうか。

神さまの言葉は、勇気を与えてくださいます。

神さまの言葉は、狭くなったわたしたちの心の道を広げてくださいます。

からからに乾き切った死の谷底を歩くようなときでも、

神さまの言葉は、そこに命の泉を湧かせてくださり、

雨で潤わせ、わたしたちを祝福してくださいます。


2024年4月25日 木曜日

おはようございます。

誰かに傷つけられるとき、わたしたちはどうするでしょうか。

イザヤ書50:6 打とうとする者には背中をまかせ/ひげを抜こうとする者には頬をまかせた。顔を隠さずに、嘲りと唾を受けた。50:7 主なる神が助けてくださるから/わたしはそれを嘲りとは思わない。わたしは顔を硬い石のようにする。わたしは知っている/わたしが辱められることはない、と。

暴力や暴言、慢性的なハラスメントは断固拒否しなくてはなりませんが、わたしたちは、自分を大事にしてくれなかったり軽く見たりする誰かの言動に対して、反撃する必要はないのです。

神さまは、わたしたちを大事にしてくださり、わたしたちを侮辱なさらないからです。

神さまがわたしたちのことを知っていてくださるのですから、人が敬意をもってくれなくてもよいのです。

50:8 わたしの正しさを認める方は近くいます。誰がわたしと共に争ってくれるのか/われわれは共に立とう。誰がわたしを訴えるのか/わたしに向かって来るがよい。50:9 見よ、主なる神が助けてくださる。

わたしたちは、「正しい」と認められなくても構いません。

神さまがわたしたちとともにいてくださるからです。

神さまがわたしたちを助けてくださるからです。

2024年4月24日 水曜日

おはようございます。

詩編72:1 【ソロモンの詩。】神よ、あなたによる裁きを、王に/あなたによる恵みの御業を、王の子に/お授けください。
72:2 王が正しくあなたの民の訴えを取り上げ/あなたの貧しい人々を裁きますように。
72:3 山々が民に平和をもたらし/丘が恵みをもたらしますように。

これはソロモン王が自分がこのような王になることを祈り求めているのでしょうか。

けれども、じつは、これは神さまご自身のお姿なのではないでしょうか。

そうすると、イスラエルや世界のまことの王は、神さましかおられない、という信仰にもつながるのではないでしょうか。

神さまは、わたしたちの苦しみ、悲しみ、祈りを聞いてくださいます。

神さまは、貧しいわたしたちをかえりみてくださいます。

神さまは、わたしたちにシャロームと恵みをもたらしてくださいます。

たしかに、神さまこそがわたしたちのまことの王です。

2024年4月23日 火曜日

おはようございます。

わたしの言葉は、そして、その人の言葉は何のためにあるのでしょうか。

イザヤ書50:4 主なる神は、弟子としての舌をわたしに与え、疲れた人を励ますように、言葉を呼び覚ましてくださる。朝ごとにわたしの耳を呼び覚まし、弟子として聞き従うようにしてくださる。

わたしたちの言葉は、疲れた人を励ますためにあるのです。

神さまがわたしたちに与えてくださった言葉は、人を傷つけたり苦しめたり、自分が勝ったりするためではなく、人を労わり、慰めるためにあるのです。それは、相手にわたしたちの思い通りにさせるためでもなく、むしろ、相手を尊重するためにあるのです。饒舌である必要はなく、むしろ、沈黙に近い静寂が平安をもたらします。

神さまが誰かを通してわたしたちに与えてくださる言葉は、しずかに、熱心に、敬意をもって、謙虚に、受け取りたいと願います。そうするとき、わたしたちは、自分の思いの外にある新しい世界に歩を進めることができます。

神さまから言葉を、人から言葉を受け取る。

わたしたちの肉は打ち砕かれ、霊が宿ってくださいます。


2024年4月22日 月曜日

おはようございます。

自分の老化を感じたり、誰かに苦しめられたりするとき、わたしたちはどうしたらよいのでしょうか。

詩編71:9 老いの日にも見放さず/わたしに力が尽きても捨て去らないでください。
71:10 敵がわたしのことを話し合い/わたしの命をうかがう者が共に謀り
71:11 言っています/「神が彼を捨て去ったら、追い詰めて捕えよう。彼を助ける者はもういない」と。
71:12 神よ、わたしを遠く離れないでください。わたしの神よ、今すぐわたしをお助けください。

神さまに助けを求めましょう。

神さまに祈りましょう。

たとえ心身が老いても、かえって自分の力が抜け、神さまへのお委ねが日々深まっていきます。

「わたしを遠く離れないでください」と祈ることができるくらいに、神さまはわたしたちのすぐ近くにいらしてくださいます。

「今すぐわたしをお助けください」と祈ることができるくらいに、神さまは今わたしたちとともにいらしてくださいます。

2024年4月21日 主日(日曜日)

おはようございます。

イザヤ書49:14 シオンは言う。主はわたしを見捨てられた、わたしの主はわたしを忘れられた、と。49:15 女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。たとえ、女たちが忘れようとも。わたしがあなたを忘れることは決してない。

わたしたちは、神さまから見捨てられた、神さまはわたしを忘れてしまった、と思ってしまうくらいに苦しむことがあります。

親は子どもを見捨てない、とは言い切れません。

けれども、神さまはわたしたちを忘れません。

たとえ、まんいち、世のすべての人がわたしたちから離れて行っても、神さまだけは、いつでも、いつまでも、ともにいらしてくださいます。

2024年4月20日 土曜日

おはようございます。

わたしたちは信仰を持つ前からすでに神さまに委ねていたのではないでしょうか。

詩編71:6 母の胎にあるときから、あなたに依りすがって来ました。あなたは母の腹から、わたしを取り上げてくださいました。わたしは常にあなたを賛美します。71:7 多くの人はわたしに驚きます。あなたはわたしの避けどころ、わたしの砦。

わたしたちは母の胎にあるとき、母にすべてを託していました。母の胎が世界のすべてであり、その場の平安を疑うことはありませんでした。今わたしたちが生きているこの世界を信頼することは神さまを信頼することであるように、母の胎に委ねることは無意識に神さまにすべてをお任せすることだったのではないでしょうか。

神さまはやがてわたしたちを母のお腹から外の世界へと導きだしてくださいました。そのときも、わたしたちは知らないうちに神さまにすべてを委ねていたのです。

わたしたちはもはや赤ちゃんではありませんが、母の胎にあった時と同じように、神さまは、わたしたちの避けどころ、砦でいらしてくださいます。わたしたちはいまやこれが神さまでいらっしゃることを知りこの神さまを信じます。

2024年4月19日 金曜日

おはようございます。

イザヤ書49:8 主はこう言われる。わたしは恵みの時にあなたに答え/救いの日にあなたを助けた。わたしはあなたを形づくり、あなたを立てて/民の契約とし、国を再興して/荒廃した嗣業の地を継がせる。49:9 捕らわれ人には、出でよと/闇に住む者には身を現せ、と命じる。彼らは家畜を飼いつつ道を行き/荒れ地はすべて牧草地となる。

今から2500年ほど前、イスラエルの民はユダ王国を滅ぼされ、バビロンの地に連れて行かれ、捕囚の身となりました。けれども、神さまはそこから救い出してくださいます。上の聖書の引用には「国を再興」「捕らわれ人」という言葉があり、そのことを述べていることがわかります。

捕囚の地から解放される。それは、イスラエルの民にとって「恵みの時」「救いの日」です。それは、「荒れ地」が「牧草地」に変わる出来事であり、神さまという羊飼いに導かれる羊であるイスラエルの民は、その「牧草」によって養われるのです。イスラエルの民は神さまに導かれるのです。

そして、これは、わたしたちにも起こる出来事です。

49:10 彼らは飢えることなく、渇くこともない。太陽も熱風も彼らを打つことはない。憐れみ深い方が彼らを導き/湧き出る水のほとりに彼らを伴って行かれる。49:11 わたしはすべての山に道をひらき/広い道を高く通す。

神さまの霊は、わたしたちの霊を満たし、潤してくださいます。人生において灼熱や熱風に苦しめられても、わたしたちは倒れることはありません。神さまがわたしたちを導き、尽きることのないいのちの水(つまり神さまご自身)を与えてくださいます。

わたしたちの行く手に山が立ちはだかろうとも、神さまはそこに広い道を通してくださいます。


2024年4月18日 木曜日

おはようございます。

苦しいときは、「神さま、わたしはこんなに苦しいです」と祈ってよいのです。ダビデもそうしました。

詩編69:2 神よ、わたしを救ってください。大水が喉元に達しました。69:3 わたしは深い沼にはまり込み、足がかりもありません。大水の深い底にまで沈み、奔流がわたしを押し流します。69:4 叫び続けて疲れ、喉は涸れ、わたしの神を待ち望むあまり、目は衰えてしまいました。

ダビデの苦しい祈りは続きます。

69:30 わたしは卑しめられ、苦痛の中にあります。神よ、わたしを高く上げ、救ってください。

ダビデは苦しみを訴え、そして、「神さま、わたしをこの苦しみの底から高くあげ、救ってください」と祈ります。

すると、祈りの中で、変化が起こります。

69:31 神の御名を賛美してわたしは歌い、御名を告白して、神をあがめます。

これまでは、苦しみを訴えていたのに、ここで、神さまの賛美が始まるのです。

69:34 主は乏しい人々に耳を傾けてくださいます。主の民の捕われ人らを、決しておろそかにはされないでしょう。

ダビデは、神さまが自分の苦しみを聞いてくださったことを確信いたします。

神さまが自分を見捨てていないことをはっきりと信じるのです。


2024年4月17日 水曜日

おはようございます。

わたしの人生は無駄だった、報われなかった、などと思ってしまうことがないでしょうか。

預言者にもそんな心境のときがあったようです。

イザヤ書49:4 わたしは思った/わたしはいたずらに骨折り/うつろに、空しく、力を使い果たした、と。しかし、わたしを裁いてくださるのは主であり/働きに報いてくださるのもわたしの神である。49:5 主の御目にわたしは重んじられている。わたしの神こそ、わたしの力。

しかし、預言者は、「そうではない、神さまがわたしをしっかり見ていてくださる、わたしがわたしとしてはなんとか生きてきたことを神さまはご存じだ」と言うのです。

人や自分の目にはつまらないように思えても、神さまの目からは、わたしたちひとりひとりの人生は、尊いもの、重たいもの、大切なものなのです。

わたしたちを大事にし、愛してくださる神さまこそが、わたしたちの生きる力です。


2024年4月16日 火曜日

おはようございます。

詩編68:6 神は聖なる宮にいます。みなしごの父となり、やもめの訴えを取り上げてくださる。68:7 神は孤独な人に身を寄せる家を与え、捕われ人を導き出して清い所に住ませてくださる。

神さまは、あらゆる人びと、とくに、苦しんでいる人びと、弱い立場にある人びと、虐げられている人びとの姿をご覧くださり、声に耳を傾けてくださいます。

神さまは孤独に悩むわたしたちの家となってくださいます。

神さまは、エジプトやバビロンで囚われていた民を導き出されました。

神さまは、わたしたちをあらゆる束縛から解き放ちてくださいます。

そして、平安の地に住まわせてくださいます。

わたしたちの平安の地、それは、神さまご自身です。

神さまは、わたしたちを平安の内へと招き入れてくださいます。

2024年4月15日 月曜日

おはようございます。

イザヤ書46:9 思い起こせ、初めからのことを。わたしは神、ほかにはいない。わたしは神であり、わたしのような者はいない。

天地の創造、アブラハムの導き、奴隷の地エジプトからの解放・・・これらはすべて、神さまがなしてくださったことでした。

わたしの誕生、人生の導き、数々の困難の克服・・・これらもすべて、神さまがなしてくださいました。

この神さまは、世界とわたしたちの未来をも導いてくださいます。

46:10 わたしは初めから既に、先のことを告げ/まだ成らないことを、既に昔から約束しておいた。わたしの計画は必ず成り/わたしは望むことをすべて実行する。

「水の中を通るときも、わたしはあなたと共にいる」(イザヤ43:2)
「恐れるな、わたしはあなたと共にいる」(イザヤ43:5)

神さまはこの約束をこれからも貫いてくださいます。

46:13 わたしの恵みの業を、わたしは近く成し遂げる。もはや遠くはない。わたしは遅れることなく救いをもたらす。

神さまはわたしにもあの人にもかならず救いをもたらしてくださいます。

いや、救いは、すでに遠くないところに来ています。

2024年4月14日 主日(日曜日)

おはようございます。

詩編66:5 来て、神の御業を仰げ/人の子らになされた恐るべき御業を。
66:6 神は海を変えて乾いた地とされた。人は大河であったところを歩いて渡った。

わたしたちの人生を振り返ってみれば、神さまは何もなかったところに形を創ってくださり、道のないところに道を切り開いてくださいました。これからも、きっとそうしてくださるでしょう。

66:8 諸国の民よ、我らの神を祝し/賛美の歌声を響かせよ。
66:9 神は我らの魂に命を得させてくださる。我らの足がよろめくのを許されない。

わたしたちはこの神さまに感謝し、この神さまを賛美いたしましょう。

この礼拝の日、神さまは創造の日と同じように、土の器のわたしたちに命の息を吹き込んでくださいます。

わたしたちは、この日、この礼拝で、神さまの息吹を胸いっぱいに吸い込んで、今週も、神さまに支えられ、神さまとともに歩みましょう。


2024年4月13日 土曜日

おはようございます。

イザヤ書45:18 神である方、天を創造し、地を形づくり/造り上げて、固く据えられた方/混沌として創造されたのではなく/人の住む所として形づくられた方/主は、こう言われる。わたしが主、ほかにはいない。

わたしたちが「主よ」「神さま」と呼びかける相手は、宇宙と地球を創造されたお方にほかなりません。

そこには、神さまのわたしたちへの深い愛が込められています。

なぜなら、わたしたち人間が住み、生きる場所として、神さまは大地を創造してくださったからです。

このお方以外に、わたしたちの「主」も「神さま」もおられません。

45:22 地の果てのすべての人々よ/わたしを仰いで、救いを得よ。わたしは神、ほかにはいない。45:23 わたしは自分にかけて誓う。わたしの口から恵みの言葉が出されたならば/その言葉は決して取り消されない。

神さまは「光あれ」(創世記1:3)、「 恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神」(イザヤ41:10)といった「恵みの言葉」を決して取り消すことがありません。

これが神さまの誠実であり真実、真(まこと)です。

どこまでもわたしたちを恵みつづけてくださる神さま。

この方こそが、わたしたちの神、わたしたちの主です。


2024年4月12日 金曜日

おはようございます。

詩編65:10 あなたは地に臨んで水を与え/豊かさを加えられます。神の水路は水をたたえ、地は穀物を備えます。あなたがそのように地を備え 65:11 畝(うね)を潤し、土をならし/豊かな雨を注いで柔らかにし/芽生えたものを祝福してくださるからです。

神さまはわたしたちに平安と力を注いでくださいます。

わたしたちは神さまからの恵みといのちに満たされます。

神さまはわたしたちの人生をそのように備えてくださり、

わたしたちを潤し、耕し、やわらげ、

わたしたちの実りを祝福してくださいます。

み言葉と祈りと賛美を通して、いのちの水をゆたかにいただきましょう。

2024年4月11日 木曜日

おはようございます。

イザヤ書44:24 あなたの贖い主/あなたを母の胎内に形づくられた方/主はこう言われる。わたしは主、万物の造り主。自ら天を延べ、独り地を踏み広げた。

すばらしいことに、神さまは、わたしたちを母の胎内に形づくってくださったお方です。

もうひとつ、すばらしいことに、神さまは、天地、万物を創られたお方です。

さらに、すばらしいことに、わたしという一人の人間を創ってくださった神さまは、じつは、この世界全体を創造なさった神さまなのです。

世界の創造主が、この小さなわたしを創ってくださったのです。


2024年4月10日 水曜日

おはようございます。

詩編65:2 沈黙してあなたに向かい、賛美をささげます。シオンにいます神よ。あなたに満願の献げ物をささげます。

神さまの前で、心を静かにいたしましょう。
その静けさの中で、神さまの平安を受け取りましょう。
その静けさを、神さまの平安としていただきましょう。

そして、神さまがいかに恵み深い方であるか、
神さまがどんなにすばらしいことをしてくださったか、
思い起こしましょう。

すると、そこには、感謝が生まれます。
神さまを称える賛美が生まれます。
その賛美を神さまにささげましょう。

「満願の献げ物」とは神さまが願い事をかなえてくださったことへの感謝のささげものです。

神さまは、「ともにいてくだい、愛してください、赦してください」という願いをかならず聞いてくださいます。

祈りと賛美はまさに神さまへのささげものです。

沈黙、静寂も、すばらしい祈りであり、賛美であり、神さまへのささげものです。


2024年4月9日 火曜日

おはようございます。

イザヤ書44:22 わたしはあなたの背きを雲のように、罪を霧のように吹き払った。わたしに立ち帰れ、わたしはあなたを贖った。

神さまに委ねて平安になるということがわたしたちにはなかなかできません。むしろ、神さま以外の目に見えるものにすがろうとしてしまいます。それを「背き」と呼びます。

けれども、神さまはわたしたちのその「背き」を吹き払ってくださり、神さまに立ち帰るように招いてくださいます。神さまはわたしたちをそうやって救ってくださるのです。

44:23 天よ、喜び歌え、主のなさったことを。地の底よ、喜びの叫びをあげよ。山々も、森とその木々も歓声をあげよ。主はヤコブを贖い、イスラエルによって輝きを現された。

神さまのこの救いを喜ぶのは、わたしたちだけではありません。

天も、大地も、山も森も木も、歓声を上げます。

神さまは全地を救ってくださいます。

この神さまに感謝し、さんびし、祈り、委ねましょう。

2024年4月8日 月曜日

おはようございます。

詩編63:5 命のある限り、あなたをたたえ、手を高く上げ、御名によって祈ります。

ダビデはどうして「手を高く上げ」て祈るのでしょうか。

それは「あなたをたたえる」つまり「神さまをたたえる」ためであり、「御名によって祈る」つまり「神さまのお名前によって祈る」ためだと言います。

「神さまをたたえる」すなわち「神さまをさんびする」ことと「御名によって祈る」ことは切り離されない、一体の出来事です。

この5節の前の2節にはこうあります。

63:3 今、わたしは聖所であなたを仰ぎ望み/あなたの力と栄えを見ています。
63:4 あなたの慈しみは命にもまさる恵み。わたしの唇はあなたをほめたたえます。

すると、「手を高く上げ」るのは、神さまを「仰ぎ望む」ことであり、神さまの「力と栄光を見る」ことであり、神さまの「慈しみ」「命にもまさる恵み」を受け取ることでもあるのでしょう。

さらに5節に続く6節にはこうあります。

63:6 わたしの魂は満ち足りました/乳と髄のもてなしを受けたように。わたしの唇は喜びの歌をうたい/わたしの口は賛美の声をあげます。

ダビデは「手を高く上げ」「御名によって祈り」、また神さまから「乳と髄のもてなし」つまり「いつくしみと心の底からのもてなし」を受け、魂を「満たされ」、神さまをさんびする歌を歌ったのです。

天に向かって手を上げることは、神さまを慕い求め、神さまからゆたかに受け取り、神さまに祈り、さんびすることなのでしょう。



2024年4月7日 主日(日曜日)

おはようございます。

イザヤ書44:6 イスラエルの王である主/イスラエルを贖う万軍の主は、こう言われる。わたしは初めであり、終わりである。わたしをおいて神はない。
44:7 だれか、わたしに並ぶ者がいるなら/声をあげ、発言し、わたしと競ってみよ。わたしがとこしえの民としるしを定めた日から/来るべきことにいたるまでを告げてみよ。

わたしは初めであり、終わりである」と神さまは言われます。

そして、「わたしがとこしえの民としるしを定めた日から、来るべきことにいたるまで」と言われます。

つまり、神さまは、世界とわたしたちを創ってくださったお方、源であり、世界とわたしたちを引き受けてくださるお方、目的地なのです。わたしたちは神さまのところから出てきて、神さまのところに帰っていくのです。神さまが迎え入れてくださるのです。

黙示録21:6 わたしはアルファであり、オメガである。初めであり、終わりである。渇いている者には、命の水の泉から価なしに飲ませよう。

イエス・キリストは世界の初めから終わりまで、神さまはわたしたちの人生の初めから終わりまで、というか、とこしえに、わたしたちに「命の水」を飲ませてくださいます。

それは、「価なしに」ですから、わたしたちが何も持っていなくても、神さまが恵みとして与えてくださる「命の水」なのです。


2024年4月6日 土曜日

おはようございます。

詩編62:2 わたしの魂は沈黙して、ただ神に向かう。神にわたしの救いはある。
62:3 神こそ、わたしの岩、わたしの救い、砦の塔。わたしは決して動揺しない。

言葉に出して祈ることはひじょうに大切です。ダビデら詩編の詩人も、ヨブも、旧約聖書の人物も、言葉で祈っています。わたしたちも、礼拝や祈祷会でそうしています。

けれども、沈黙の祈りも、それと同じくらいに大切です。声に出さないだけでなく、頭の中でも言葉を発せず、ただ静かに、耳を澄ませます。そして、神さまの沈黙、神さまの静けさに、耳を傾けます。自分の言葉を発するのではなく、はんたいに、神さまの平安を手のひらで受け取り、体中に満たすのです。

そこに、神さまの救いがあります。わたしたちの中には確かさはありませんが、神さまは揺らぐことがありません。

62:6 わたしの魂よ、沈黙して、ただ神に向かえ。神にのみ、わたしは希望をおいている。
62:7 神はわたしの岩、わたしの救い、砦の塔。わたしは動揺しない。

6節の「神にのみ、わたしは希望をおいている」を3節の「神にわたしの救いはある」と並べると、神さまはわたしたちの希望となってくださることで救いをもたらしてくださることがわかります。

たとえわたしたちの人生が厳しいときを迎えても、神さまが希望を与えてくださいます。それがわたしたちの救いです。

沈黙の祈りの中で、わたしたちは静かに神さまの平安と向かい合い、上に向けた手のひらから、神さまの希望と救いを受け取り、全身を神さまの愛で満たしていただきましょう。

2024年4月5日 金曜日

おはようございます。

イザヤ書44:1 そして今、わたしの僕ヤコブよ/わたしの選んだイスラエルよ、聞け。
44:2 あなたを造り、母の胎内に形づくり/あなたを助ける主は、こう言われる。恐れるな、わたしの僕ヤコブよ。わたしの選んだエシュルンよ。
44:3 わたしは乾いている地に水を注ぎ/乾いた土地に流れを与える。あなたの子孫にわたしの霊を注ぎ/あなたの末にわたしの祝福を与える。
44:4 彼らは草の生い茂る中に芽生え/水のほとりの柳のように育つ。

この聖書の箇所の「ヤコブ」「エルサレム」「エシュルン」のところに、あなたの名前を入れて、もう一度、読み直してみてください。

「そして今、わたしの僕(しもべ)いわおよ、わたしの選んだいわおよ、聞け」というように。

「選んだ」とは「あなたが優れているから選抜した」ということではなく「わたしはあなたを一方的に愛している」という意味に近いでしょう。

このあと「あなたを造り、母の胎に形づくり」と続いていることからも、そのように思われます。なぜなら、わたしたちの命が母の胎に形づくられたのは、わたしたちが優れているゆえに選抜された、からではないからです。ただ、神さまの愛ゆえに、わたしたちは母の胎に宿ることができたのです。

3節、4節の「あなたの子孫」「あなたの末」「彼ら」は「あなた」「あなたの命」と読み替えてみましょう。

「あなたにわたしの霊を注ぎ、あなたにわたしの祝福を与える」

「あなたの命は草の生い茂る中に芽生え、水のほとりの柳のように育つ」

神さまはイザヤを通して、これを読んでいるあなたを祝福してくださっておられるのです。



2024年4月4日 木曜日

おはようございます。

詩編61:2 神よ、わたしの叫びを聞き、わたしの祈りに耳を傾けてください。

整った美しい言葉でなくても、「神さま、助けて、神さま、助けて」と叫び続けるだけでも、神さまはそれをわたしたちの祈りとして耳を傾けてくださいます。

61:3 心が挫けるとき、地の果てからあなたを呼びます。

くじけたときは、心が折れたときは、世界の隅っこに座り込んでしまったときは、「神さま、ああ、神さま」と神さまを呼びましょう。

61:4 あなたは常にわたしの避けどころ、敵に対する力強い塔となってくださいます。
61:5 あなたの幕屋にわたしはとこしえに宿り、あなたの翼を避けどころとして隠れます。

神さまはわたしたちの避難所です。苦難からわたしたちを守ってくださる砦(とりで)です。

わたしたちが祈るとき、神さまはわたしたちの祈りを神さまの幕屋としてくださいます。

祈りは、わたしたちが祈っているようで、じつは、神さまが祈りという幕屋を張ってくださり、そこに、わたしたちを宿らせてくださるのです。


2024年4月3日 水曜日

おはようございます。

わたしたちのこれまでの人生には、良いことも多々ありましたが、辛いことや苦しいこともありました。けれども、そこから外に出よう、と神さまは誘ってくださいます。

イザヤ43:18 初めからのことを思い出すな。昔のことを思いめぐらすな。

「初めからのこと」とは、ここでは、昔のことでしょう。もうそこに留まらなくてもいいよ、と神さまはおっしゃってくださいます。

43:19 見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている。あなたたちはそれを悟らないのか。わたしは荒れ野に道を敷き/砂漠に大河を流れさせる。

神さまが、わたしたちのために新しいことをなしてくださいます。

それはもう始まっています。

これに気づきましょう。

冬枯れの枝に目を向ければ、ピンクのつぼみが明日咲くのを待っています。

「咲う」と書いて「わらう」と読むそうです。

花が笑うのです。つぼみには喜び、福音が潜んでいます。

荒れ野だと思っていたわたしたちの人生に、神さまは一本の広い道を切り開いてくださいます。

砂漠だと思っていたわたしたちのこれからを、神さまは大河によって潤してくださいます。

これが神さまのなさる新しいこと、もう芽生えていることなのです。


2024年4月2日 火曜日

おはようございます。

苦しいときは神さまに祈りましょう。

詩編57:2 憐れんでください、神よ、わたしを憐れんでください。わたしの魂はあなたを避けどころとし、災いの過ぎ去るまで、あなたの翼の陰を避けどころとします。

神さまは苦しむ私たちの魂の避難所となってくださいます。

それが過ぎ去るまで、大きな翼の下に、わたしたちを守ってくださいます。

57:10 主よ、諸国の民の中でわたしはあなたに感謝し、国々の中でほめ歌をうたいます。
57:11 あなたの慈しみは大きく、天に満ち、あなたのまことは大きく、雲を覆います。

喜びのときは神さまを賛美いたしましょう。

わたしたちは祈り、

神さまの慈しみとまことは、

空の雲を包み込み、天地のドームに満ちあふれます。

エフェソ1:23 教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です。

教会にキリストが満ちているように、世界のすべてに神さまの慈しみとまことが満ちているのです。


2024年4月1日 月曜日

おはようございます。

神さまはどのような人をその僕(しもべ)として用いられるのでしょうか。

どのような人を神さまの愛と救いと恵みの使者とされるのでしょうか。

イザヤ書42:1 見よ、わたしの僕、わたしが支える者を。わたしが選び、喜び迎える者を。彼の上にわたしの霊は置かれ/彼は国々の裁きを導き出す。

その人は、まず、神さまの僕(しもべ)であり、神さまに仕える者であることが望まれます。

その人は、神さまに支えられ、神さまから招かれ、神さまに迎えられます。

その人の上には、神さまの霊が注がれ、その人は、人びとに神さまの慈しみを伝えます。

42:2 彼は叫ばず、呼ばわらず、声を巷に響かせない。

その人は、自分を偉く見せたり、高いところから人びとを支配したりしません。

42:3 傷ついた葦を折ることなく/暗くなってゆく灯心を消すことなく/裁きを導き出して、確かなものとする。

その人は、傷ついた人をいたわり、つぶれそうな人の心に涙を流し、神さまの慈しみをもたらそうとします。

42:4 暗くなることも、傷つき果てることもない/この地に裁きを置くときまでは。島々は彼の教えを待ち望む。

傷つき弱った人びとの心は、その人によって癒され、強められます。

世界の人びとはこの人の口から神さまの言葉を聞きます。

まぶねの中にうぶごえあげ、
貧しきうれい 生くる悩み つぶさになめし
虐たげられし 人を訪ね
友なき者の 友となりて 心砕きし 
すべてのものを 与えしすえ
死のほか何も 報いられで
十字架の上に 上げられつつ 敵を赦し

そして

墓からよみがえりたもう

イエス・キリストこそ、まさに、神さまのまことのしもべです。

主よ、わたしを、あなたのしもべのしもべにしてください。


2024年3月31日 主日(日曜日) 主の復活日(イースター)

おはようございます。

主イエス・キリストはよみがえられました。

わたしたちは救われました。

マタイによる福音書28:5 天使は婦人たちに言った。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、28:6 あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。

わたしたちも世界や心の暗黒にとどまってはなりません。

復活されたキリストが、さあ、ここから出よう!と、手を引いてくださいます。

28:7 『あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。』

ガリラヤは、弟子たちが生まれ育ち、キリストと神の国を宣べ伝えた場所です。

弟子たちがイエス・キリストと生きた場所です。

復活されたキリストは、暗黒から、キリストとともに生きる光へと、わたしたちを導き出してくださいます。

わたしたちは、光の中で、イエス・キリストとともに生きるのです。

イエス・キリストが光の中でわたしたちとともに歩んでくださいます。


2024年3月30日 土曜日

おはようございます。

イエス・キリストは金曜日に十字架につけられ、墓に葬られました。

マタイによる福音書27:59 ヨセフはイエスの遺体を受け取ると、きれいな亜麻布に包み、27:60 岩に掘った自分の新しい墓の中に納め、墓の入り口には大きな石を転がしておいて立ち去った。

イエス・キリストの弟子であったヨセフは、お金持ちで、自分の墓を持っていました。彼は、イエスの遺体を丁寧に埋葬したのですが、その行為を疑う者がいたようです。

27:62 祭司長たちとファリサイ派の人々は、ピラトのところに集まって、27:63 こう言った。「閣下、人を惑わすあの者がまだ生きていたとき、『自分は三日後に復活する』と言っていたのを、わたしたちは思い出しました。27:64 ですから、三日目まで墓を見張るように命令してください。そうでないと、弟子たちが来て死体を盗み出し、『イエスは死者の中から復活した』などと民衆に言いふらすかもしれません。27:65 ピラトは言った。「あなたたちには、番兵がいるはずだ。行って、しっかりと見張らせるがよい。」27:66 そこで、彼らは行って墓の石に封印をし、番兵をおいた。

こうして、イエス・キリストの体は暗い墓の中に幽閉されてしまいました。盗み出すことなどできません。

けれども、日曜日の朝、弟子たちも祭司長たちもファリサイ派の人たちが考えもしなかったことが起こりました。

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