私たちは聖書を信じるプロテスタントの教会です。          【教会目標】 キリストの愛が満ち 福音宣教に生きる教会

2016年1月10日 「若者よ、立ち上がれ!」

2016年1月10日 「若者よ、立ち上がれ!」

【聖 書】ルカによる福音書7章11節~17節

【説 教】齋藤 篤 牧師

【説教要旨】

 今年も新成人が祝われるこの時期に、教会でも20年という命の日々が祝福のうちに刻まれた方々を、お祝いする機会が与えられたことに、心から感謝したいと思います。かつて成人を迎えた方々も、これから成人を迎えようとしている人たちも、生活する毎日が豊かなものとされていくことを、心から願うでしょう。しかし、私たちの生活には喜びだけではなく、痛みや苦しみ、そして、まるで死んでしまったかのような経験もする。これが人生なのです。
 愛する夫に先立たれた一人の女性にとって、一人息子がいるというのは、どれだけ慰めや励ましとなったことでしょう。経済的にも、精神的にも、母一人子一人の生活は、決して楽なものではありませんでした。しかし、息子がいることがただ一つの勇気の源だったのです。そんな息子にも、若くして先立たれてしまった。息子が死んでしまい、残された母親の心は死んだも同然でした。
 そこに、イエス様が現れます。夫・息子の生きる命、そして自分の心の命までもが奪われてしまった母親の痛みを、主はご自分の痛みとしてくださいました。「憐れに思い(7:13)」とあります。単なる同情の念ではありません。身を斬られるような痛みが、憐れに思うということの本意でした。そして、イエス様は「もう泣かなくとも良い(13)」と述べられたのです。単なる口から出任せの言葉ではありませんでした。息子に「若者よ、あなたに言う。起きなさい(14)」という宣言をもって、息子の命をよみがえらせたのでした。これは、心臓が再び動くための宣言である以上に、母親の死んだ心をもよみがえらせる力があった、ということなのです。
 主イエスが、私たちの生活のすべてを御覧になられる方であるのです。私たちが苦しい時には、同じように苦しんでくださるし、私たちが本当に助けを必要としている時に、私たちに「起きなさい!」と告げてくださる方もイエス様なのです。それは、人生の日々を生きる私たちのすべてに呼びかけられた、主の言葉であることを、私たちは信じ続けるならば、必ず喜びへと自分自身が導かれていることを確信できます。
 人生、失敗しても良いのです。大切なことは、失敗してもやり直せるのだということなのです。失敗が許されず、簡単に切り捨てられるような、せちがらい世の中だからこそ、私たちはキリストの「起きなさい、立ち上がれ!」という声に、アーメン!と答え応じていこうではありませんか!

powered by Quick Homepage Maker 4.91
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional