私たちは聖書を信じるプロテスタントの教会です。          【教会目標】 キリストの愛が満ち 福音宣教に生きる教会

2016年3月6日 「悪の正体」

2016年3月6日 「悪の正体」



【聖 書】ルカによる福音書8章26~39節


【説 教】齋藤 篤牧師


【説教要旨】


新約聖書、特にイエスさまの活動記録である福音書には、しばしば「悪霊の追い出し」に関する記事が収められています。私たちはその記事を見て、何を思うでしょうか。悪魔であるとか悪霊の働きというものを、私たちは日常生活で通常に語られることはないでしょう。しかし、聖書の言葉に触れて、親しんでいれば、イエスさまの時代がいかに悪魔を意識した世界であったかを、私たちは知ることができます。そして、私たちの生きる現在においても、悪魔や悪霊の働きが昔と変わることなく、私たちの生活に迫っていることを理解できるのです。
 そもそも、悪魔の使命は極めてシンプルなものです。それは「人間を神から引き離す事」です。この一点においてのみ、悪魔の働きがあるのです。しかし、その方法論については、悪魔は複雑な手法を用いて、人間をあらゆる角度から迫り、誘い、たくみに神と別れさせるように仕向けるのです。
 ゲラサ人の地域という「外国」に、イエスさまと弟子たちはやって来ました。神と切り離された世界とみなされていましたから、悪魔の働きは旺盛です。そこに、悪霊に取りつかれた男が登場します。大変凶暴な男。しかし、その凶暴さは人々に恐れを思わせる悪霊の力によるものでした。しかし、悪霊はイエスさまを見るや否や、イエスさまに対する恐れを抱きます。どんなに凶暴な悪霊でも、イエスさまを目の前にしては、全く勝ち目がないことを知っていたからです。これは、悪魔自身が、神の正しさを証明したことを表します。私たちは悪魔に対して恐怖を抱く必要は全くありません。なぜならば、悪魔を打ち勝つほどの力を持つイエスさまを救い主として信じることができるのですから。
 しかし、私たちは人を恐れます。この世の中にある不安を呼び起こす様々な出来事に遭遇しては恐怖心を抱きます。私たち人間はイエスさまの救いを知っていても、やはりもろもろに対して恐れを抱く弱い存在です。イエスさまは、そんな私たちの弱さを御存知だからこそ、十字架上の苦しみに向かわれ、死を経験されました。イエスさまの持つ強さとは、私たちの弱みの極みにご自身が立たれたゆえの強さであり、死を打ち破って命の復活へと向かわれた、悪を打ち破る強さなのです。
 イエスさまの強さとは、弱い者の気持ちを踏みにじるようなものでは決してないのです。だからこそ、私たちも自分自身が弱いと思えるからこそ、イエスさまの力によって悪に立ち向かうことができるのです。

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