私たちは聖書を信じるプロテスタントの教会です。          【教会目標】 キリストの愛が満ち 福音宣教に生きる教会

2016年5月15日 「祈り」

2016年5月15日 「祈り」

【聖 書】ヨハネによる福音書14章6、14~16節

【説 教】田代 孝一スタッフ

【説教要旨】

 本日の説教題は「祈り」です。私たちは、苦しい時、悲しい時、思い悩み自分の力ではどうしようもできない時、自分の力を越えて働く何かを信じて祈ります。それは、民族、国家、人種、宗派を超えて、私たち人間が共通に行う行為と言えます。
聖書の中にもたくさんの祈りの場面が描かれています。本日の聖書の箇所において、イエス様は「何事でも私の名によって願うならば、私はそれをかなえてあげよう」(14:14)と言われました。聖書においてイエス様が示された祈りは、「私の名によって」「私の名を通して」祈りなさいということでした。
イエス様はなぜそのように言われたのでしょうか。このことに関して、イエス様は「私は道であり、真理であり、いのちである。誰でも私によらないでは、父のみもとに行くことが出来ない」(14:6)と言われました。
古今東西、多くの宗教家、思想家、哲学者がこの「道」「真理」「いのち」について様々な視点から解き明かしてきましたが、自分自身がそのものだと宣言した人は一人もいませんでした。さらにそれに加えて、「私によらないでは、誰一人として神のみもとに行くことが出来ない」と言われたのです。ここまで言い切れる人は、大ウソつきか本当にそうなのか、どちらかです。しかしこの言葉がウソではなかったことを、イエス様はその後の歩みを通してお示しになられました。それが十字架と復活、そして聖霊降臨の約束でした。
本日はペンテコステ(聖霊降臨)を記念する礼拝です。聖霊降臨の様子は使徒行伝2章に詳しく記されていますが、その時、弟子たちをはじめ多くの人々が集まって「心を合わせ、ひたすら熱心に祈っていた」と記されていますように、すべてはイエス様の名によって祈る祈りから始まりました。
聖霊を受けた弟子たちは、聖霊がもたらす最大の賜物である「神の愛」に満たされて、力と確信を得て宣教に遣わされていきました。
私たち一人一人も「立て。さあ、ここから出かけて行こう」(14:31)と、私たちを力づけ勇気づけてくださるイエス様の言葉に従って、どんな時も祈りから始まることをしっかりと心に刻んで、この礼拝からそれぞれの場に遣わされてまいりましょう。

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