2023年1月15日
2023年1月15日
「神はおのおのの行いに従ってお報いになります…律法を…実行する者が、義とされる」(ローマ2:6、12⁻13)
聖書は神さまの真実の言葉です。神さまの救いと愛、そして、それにお応えするわたしたちの愛を教えてくれる真の言葉です。けれども、御言葉を理解する際、一文だけとりだすのではなく、文章全体の文脈を考えることがとても重要です。たとえば「あなたなんか嫌いです」という一文も文脈によって憎しみの言葉にも愛情の言葉にも受け取ることができます。
上に引用したパウロの言葉は、これだけ読みますと、わたしたちは、律法=神さまの戒めを守ることで、神さまから「義とされる」=「正しいとされ、神さまが手を差し伸べてくださる」という意味にとることができます。
けれども、パウロは「ローマの信徒への手紙」のもう少し先でこう言っています。「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです」(3:23-24)。
パウロは2章では「律法を実行して義とされる」と言っていたのに、3章では、そうではなくて「神の恵みにより無償で義とされる」と言うのです。つまり、パウロが2章で言いたかったことは「律法を実行すれば義とされるが、人にはそれができない」ということであり、3章では、それにもかかわらず、「神さまは恵みによって義としてくださる」ということなのです。(い)