2023年1月29日
2023年1月29日
「わたしたちには優れた点があるのでしょうか。全くありません・・・ユダヤ人もギリシア人も皆、罪の下にあるのです・・・『正しい者はいない。一人もいない。悟る者もなく、神を探し求める者もいない。皆迷い、だれもかれも役に立たない者となった。善を行う者はいない。ただの一人もいない。』」(ローマ3:9-12)
「優れた点がない」「正しくない」「神を探し求めていない」「役に立たない」「善を行っていない」という言葉は厳しすぎるのではないでしょうか。わたしたちの中にも優れた点や正しさ、善、神さまを慕い求める心があるのではないでしょうか。たしかにそうです。
けれども、パウロのこの言葉は、「神さまにお救いいただく交換条件にできるくらいに正しかったり、善を行ったりしている人はいない」という意味でしょう。「神さまの前では」、皆、罪人なのです。ユダヤ人もギリシア人も、どこの人も、律法を大切にする人も、律法を守らなくては救われないという束縛から解き放たれている人も、皆、罪人なのです。
『 』の中は、いくつかの詩編からの引用です。つまり、パウロは、わたしたちは律法から自由にされていることを解き明かしながらも、旧約聖書の信仰も大切にし、そこから、わたしたちの罪を示しているのです。しかし、パウロの真の目的は、罪の暴露ではなく、神さまはその深い深い罪からわたしたちを救ってくださるという福音を述べることにあります。(い)