2023年10月22日
2023年10月22日
かつて書かれた事柄は、すべてわたしたちを教え導くためのものです。それでわたしたちは、聖書から忍耐と慰めを学んで希望を持ち続けることができるのです。忍耐と慰めの源である神が、あなたがたに、キリスト・イエスに倣って互いに同じ思いを抱かせ、心を合わせ声をそろえて、わたしたちの主イエス・キリストの神であり、父である方をたたえさせてくださいますように。(ローマ15:4-6)
「かつて書かれた事柄」とは旧約聖書のことでしょう。パウロは旧約聖書の御言葉はわたしたちを教え導いてくださるというのです。わたしたちにどんなことを教え、どんなことに導いてくださるかというと、それは、忍耐と慰めです。
つまり、わたしたちの人生に苦しいこと、辛いこと、悲しいことがあっても、その解決の日まで、神さまが支えてくださるから、わたしたちは耐え忍ぶことができるという教え、あるいは、知らせであり、この知らせによって、わたしたちは、辛いことの最中で苦しみながらも、神さまの御言葉に慰められながら生きていくようにと、導かれるのです。
「互いに同じ思いを抱く」とは、「わたしたち強い者は、強くない者の弱さを担うべきであり、自分の満足を求めるべきではありません。おのおの善を行って隣人を喜ばせ、互いの向上に努めるべきです」(15:1-2)を言い換えているのでしょう。
これは、わたしたちが自分の思いでするのではなく、「キリスト・イエスに倣って」することです。イエス・キリストがわたしたちの思いをわかってくださったから、ともに苦しんでくださったから、わたしたちも隣人の思い、苦しみを少しでもわかろうとしよう、ということです。
したがって、苦しむ友とわたしたちをつないでくださるのは、主イエス・キリストであり、神さまですから、心を合わせて、神さまを賛美しようというのです。
たしかに、礼拝のさんびは、主にあって、わたしたちが心をひとつにあわせることです。ひとつのさんびにおいて、わたしたちは、友の痛みも主による歓びもわかちあうのです。(い)