2023年10月29日
2023年10月29日
だから、神の栄光のためにキリストがあなたがたを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに相手を受け入れなさい。わたしは言う。キリストは神の真実を現すために、割礼ある者たちに仕える者となられたのです。それは、先祖たちに対する約束を確証されるためであり、異邦人が神をその憐れみのゆえにたたえるようになるためです。(ローマ15:7-9)
ここで「あなたがたも互いに相手を受け入れなさい」とパウロが述べていることのなかには、ユダヤ人ではない者つまり異邦人はユダヤ人を、ユダヤ人は異邦人を、互いに受け入れるべきことが含まれているでしょう。
ローマの信徒の前半では、わたしたちが救われるのは、ユダヤ人が大切にしてきた律法を完全に守ることへのご褒美ではなく、イエス・キリストにおいてあらわれた神さまのわたしたちへの真実とそれを信じる信仰によってである、とパウロは語っていますが、それは、けっして、ユダヤ人は神さまの救いに入れられないということではなかったのです。
「キリストは神の真実を現すために、割礼ある者たちに仕える者となられた」「先祖たちに対する約束を確証」とありますが、「割礼ある者たち」とはユダヤ人のことであり、「先祖たちに対する約束」もユダヤ人=イスラエルの民に与えられた神さまの祝福の約束のことであり、これは、キリストにおいてたしかなものになったと言うのです。つまり、パウロは、神さまはキリストによってユダヤ人も救うと言うのです。同様に、異邦人も救われます。
これは、ユダヤ人と異邦人だけのことにとどまらず、たとえば、わたしたちと、わたしたちとは考え方などが異なる人びとのことでもあるでしょう。7節の冒頭にあるように、イエス・キリストはわたしたちを受け入れてくださいました。同時に、わたしたちと異なる人びとをもキリストは受け入れておられます。だから、わたしたちは、異なる相手をも互いに受け入れなさい、とパウロは言うのです。(い)