2023年10月8日
2023年10月8日
ある日を他の日よりも尊ぶ人もいれば、すべての日を同じように考える人もいます。それは、各自が自分の心の確信に基づいて決めるべきことです。特定の日を重んじる人は主のために重んじる。食べる人は主のために食べる。神に感謝しているからです。また、食べない人も、主のために食べない。そして、神に感謝しているのです。わたしたちの中には、だれ一人自分のために生きる人はなく、だれ一人自分のために死ぬ人もいません。わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。(ローマ14:5-8)
ローマの教会の中でもいろいろな意見があったのでしょう。この日は特別大切な日だと言う人もいれば、毎日が大切だという人もいたのかも知れません。わたしたちの間でも、ある人は主が復活なさったイースターが一番大事な日だと言う人もいれば、主日(日曜日)は主が復活なさった日だから毎週の主日が大事だと言う人もいるでしょう。
ローマの教会では、市中で売られている肉は元々は偶像の神殿に捧げられたものだから食べないという人もいれば、いや、その肉を食べても偶像崇拝にはならないという人もいたと思われます。わたしたちの中でも、食事や飲酒についても、考えはいろいろあることでしょう。
信仰や教会での意見の違いをわたしたちはどのようにしたらよいのでしょうか。パウロはここで、考えは違っても、皆「自分のために」ではなく、「主のために」生き、考えている、と言います。
これは、ひじょうに大切なことです。自分と考えが違っても、「ああ、あの人も、主のために、という思いで考えているのだな」という信頼関係がとても大事だと教えられます。(い)