2023年3月26日
2023年3月26日
「そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません」(ローマ5:3-5)
信仰生活にあっては、苦難、苦しみにも大事な意味があります。しかし、それは、人から説得されたり、人に説得したりするものではありません。神さまと自分の関係の中で、教えていただくものです。苦しみの渦中では、苦しみの意味はわかりにくいのです。
けれども、苦しみながらも、神さまに祈り、神さまに支えられ、そっと寄り添ってくれる家族や友に支えられ、その苦しみのトンネルをなんとかくぐり抜け、そうすることによって、神さまによって生かされる自分が、少しずつですが、育っていき、そこには、苦しみのある世界でも神さまが導いてくださるという希望が生まれます。
渦中ではわかりにくいのですが、登山道の休憩所で振り返れば、自分が歩いてきたそういう道が見えることがあります。人生において、この道は一度だけのものではなく、これと同じような道は、何度か歩むことになるでしょう。
そして、これらの道を経る中で、「ああ、苦しみの中でも、神さまがともにいてくださった。苦しみにも、こんなに深い意味があった」というように、苦難を誇りとする、苦難の大切な意味を受け取ることができるのではないでしょうか。
イエス・キリストは、苦しみの道を歩み、十字架について、葬られましたが、それを乗り越えて、復活なさいました。わたしたちの苦しみも、神さまがきっと乗り越えさせてくださり、平安、希望へと導いてくださいます。(い)