2023年4月16日
2023年4月16日
「一人の罪によってすべての人に有罪の判決が下されたように、一人の正しい行為によって、すべての人が義とされて命を得ることになったのです。一人の人の不従順によって多くの人が罪人とされたように、一人の従順によって多くの人が正しい者とされるのです。」(ローマ5:18-19)
「一人の罪」によってとは、創世記で語られているアダムの罪のことです。アダムは神さまのお心に従い続けることができず、むしろ、自分が神さまのように賢くなろうとします。これは、アダムだけでなく、じつは、わたしたちにも当てはまるのではないでしょうか。
わたしたちは、人を愛する、人を傷つけない、という神さまのお心を完全には守れませんし、自分は神さまのことをすこしは理解していると思ってしまいがちです。その意味で、わたしたちはアダムとともに有罪判決を受けているのです。
けれども、イエス・キリストはわたしたちをそこから救い出してくださいました。「一人の正しい行為」とは、イエス・キリストの宣教と癒し、十字架と復活のことでしょう。わたしたちは有罪判決を受けているにも関わらず、このイエス・キリストのご生涯によって、わたしたちは「義とされて命を得る」、つまり、罰を受けることなく、むしろ、神さまに受け容れていただき、神さまの永遠のいのちに招き入れていただくのです。
わたしたちは皆神さまの心から離れた罪人ですが、イエス・キリストが神さまに従順で、その結果、復活に導かれたことによって、わたしたちも「正しい者」、つまり、神さまに受け容れていただく者としていただいたのです。(い)