2023年4月2日
2023年4月2日
「キリストは、わたしたちがまだ弱かったころ・・・不信心な者のために死んでくださった・・・わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。」(ローマ5:6-8)
パウロはこの言葉の少し前で「わたしたちは信仰によって義とされた」と言っています。これだけを読みますと、神さまは信仰を持つ人だけを救ってくださるように思えます。
しかし、わたしたちは、「では、どれくらい信仰を持てば救われるのだろうか。信仰が揺らぎ、足りないと思うことがあるが、わたしは救われるのだろうか」と心配になることもあります。また、信仰を持っていないように見える家族や友人はどうなるのかとも思います。
けれども、上の聖書の言葉では、「キリストは、不信仰な者のために死んでくださった」、また、「わたしたちがまだ罪人であった時、キリストがわたしたちのために死んでくださった」とあります。
わたしたちは、イエス・キリストが十字架で死んでくださったのはわたしたちを救うためだと信じます。しかし、パウロは、わたしたちが信仰深かったから、あるいは、罪人でなくなったから、キリストは死んでくださった、とは言わないのです。むしろ、わたしたちの信仰がじつは不信仰であっても、わたしたちが罪人であっても、キリストはわたしたちのために死んでくださる、と言うのです。
不信仰な罪人のために死んでくださるイエス・キリストの十字架、神さまの愛に、涙しつつ、祈りつつ、受難週を過ごしましょう。(い)