2023年7月9日
2023年7月9日
もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか。わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか。だれが神に選ばれた者たちを訴えるでしょう。人を義としてくださるのは神なのです。だれがわたしたちを罪に定めることができましょう。死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのです。(ローマ8:31-34)
神さまはわたしたちの味方です。神さまこそがわたしたちの味方です。世界中の誰もがわたしを否定しても、見捨てても、理解してくれなくても、わたしたちには神さまがおられます。
神さまはわたしたちが神さまの子どもとしてここにいるために必要なすべてをくださいます。神さまはご自分そのものである御子イエス・キリストを惜しむことなくわたしたちにくださいました。つまり、ご自分のすべてをくださいました。ですから、わたしたちにはすべてが与えられているのです。
誰もわたしたちのことを神さまの子ではない、などと言い張ることはできません。神さまがわたしたちを神さまの子どもにしてくださったのですから。
誰もわたしたちのことを永久に滅ぼされる罪人だ、などと裁くことはできません。神さまがわたしたち罪人を滅ぼすのではなく救いに入れてくださるのですから。
わたしたちは、神さまの前に立ち、自分の罪を深く悔い改めることは、きわめて大事ですが、それだけでなく、神さまがそのわたしたちを赦してくださることも深く信じるのです。
わたしたちは、自分で自分を裁き捨ててはなりません。自分には味方がいない、自分は神さまの子どもではない、自分の罪は赦されない、などと言ってはならないのです。
なぜなら、神さまがわたしたちを救ってくださるからです。そして、神さまの救いの力は、どんな敵にも、わたしたちのあきらめにも失望にも、わたしたちの罪の深さにもまさるからです。(い)