2023年9月17日
2023年9月17日
互いに愛し合うことのほかは、だれに対しても借りがあってはなりません。人を愛する者は、律法を全うしているのです。「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」、そのほかどんな掟があっても、「隣人を自分のように愛しなさい」という言葉に要約されます。(ローマ13:8-9)
ローマの信徒への手紙の中で、パウロは、神さまが人を救ってくださるのは、人が律法を完全に守ったからではなく、人が神さまを信じる信仰によってである、ということを述べてきました。その場合も、人の信仰の立派さよりも、神さまの恵み、恩寵が強調され、「キリストは、わたしたちがまだ弱かったころ・・・不信心な者のために死んでくださった」(5:6)とパウロは記しています。
じっさい、わたしたちは、律法を完全に守れないのと同様に、完全な信仰を自分の力では持てません。わたしたちの信仰は、神さまの与えてくださったものです。神さまがくださった信仰は完全であっても、わたしたちのその用い方は不完全です。それにもかかわらず、不完全なわたしたちの信仰を神さまは受け入れてくださり、それを信仰と認め、わたしたちをお救いくださいます。
そのような神さまの恵みが強調されるとき、律法は不用なのでしょうか。たしかに、神さまがわたしたちを救ってくださる条件としての律法は要りません。しかし、神さまに救われた者として、わたしたちは、愛の律法に生きるように促されます。
パウロによれば、律法の掟は、けっきょく、「『隣人を自分のように愛しなさい』という言葉に要約されます」。神さまの愛によって救われたわたしたちが少しでも隣人を愛そうと祈り求めるとき、わたしたちは律法の本来の心に従っているのです。
愛の律法は、神さまの救いの条件ではなく、救いの結果なのです。(い)